2019年06月07日

第12回「ライフプロデュース」研究会 開催しました!

皆様こんばんは!
本日、関東甲信、梅雨入り宣言!しましたね。今週前半は、ジメジメした不快指数高い天気だったので、小学校の授業は子供たちが爽やかな気持ちになって、楽しめるゲームがないだろうか?と考えた結果、「おはじきゲーム」をすることにしました。ルールはビンゴと似ていて、一人5個のおはじきを好きなイラストの上に置いて、指導員の私と担任の先生が交互に読み上げた英語を聞いて、自分が置いた絵と一致したら、おはじきを取る。さらに、あと1つで「上がり」という状態になったら"One more." と言って、stand up する。全部終了となったら、" I'm finished."という。ルールは以上でとてもシンプルです!学年によってイラストを替えて実施してみました。高学年は一日のルーティン動作で、低学年は夏のフルーツと野菜のイラスト集でーという具合で。子供たちの反応はかなり盛り上がりました!大成功ヾ(❀╹◡╹)ノ゙❀~ 教科書の上でキラキラと輝く涼やかなガラスのおはじきー,子供たちの歓声で、不快指数も吹っ飛びました! 梅雨の季節は、涼やかなガラス玉のおはじきゲーム、小学校の英語の授業で活躍しそうです!
おはじきゲーム@.JPG


さて本題です! 第12回「ライフプロデュース」研究会、開催いたしました。今回のテーマは、「令和の時代、身近な地域コミュニティのSDGs」でした。6月15日(土曜日)駒沢大学で開催される、シニア社会学会の大会で、研究会メンバー3名がシンポジウムのパネリストとして登壇させていただきます。よって今回は、その打ち合わせも兼ねた月例会となりました。

今年の大会のテーマは、大会テーマは「新しい時代におけるコミュニティのSDGs」※SDGsとは、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で決められた、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、国際社会共通の目標です。
 基調講演は、◆ 基調講演:「まちづくりにおける共通価値の創造とSDGs 」
 笹谷秀光氏(社会情報大学院大学客員教授、伊藤園元取締役、日本経営倫理学会理事)です。

小平さんは、「首都圏郊外の遊休の畑を利用して、野菜作りと都内のこども食堂に野菜を供給する活動」
庄司さんは、「ふくしまで進むオーガニックコットンプロジェクト」
中村は、「自分が身近な地域コミュニティ」で実現したいこととSDGs 〜SDGsという「窓」を通すと世界共通の課題へ繋がっていく。ワクワク感で小さな一歩を踏み出すことが大切!」
そんなテーマで3人3様、活動に至った目的や背景を簡単にご紹介し、それぞれの地域コミュニティでの課題や展望などを少しお話できればよいなという流れとなりました。

 「SDGs」と聞いただけで、「他人事」「難解すぎて自分には無理」と引いてしまう方が結構多いのですが、まずは、「自分の好きなこと・頑張っていること・身近に関わっていること」について、そのことの2030年、どうあって欲しいか?の未来図を描いてみて、そうなるためには今、自分には何ができるだろう? 今、自分が関わっている活動の課題は何だろう?と自問自答する。先ずは目の前の課題について突破口を探ったり、風穴を開けるために小さなアクションを起こし、諦めずに続けることが大事で、それがSDGsという「窓」を通すと世界共通の課題に繋がっていく。そんな風に理解すればよいのかな?という点では、全員一致を見た第12回「ライフプロデュース」研究会でした。あ、第1回研究会開催からまる1年経ったんですねー、感無量!

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関心のあるかたは、是非、当日、駒沢大学で開催される、シニア社会学会の大会にお越しください。
1)開催日 :2019年6月15日(土)
2)開催場所:駒澤大学(駒沢キャンパス) 3号館(種月館)3−211教室
(東京都世田谷区駒沢一丁目23番1号、東急田園都市線駒沢大学駅下車徒歩8分)




◇第13回「ライフプロデュース」研究会 開催のお知らせ◇
日時:2019年6月26日(水曜日)18:00〜21:30
テーマ:「地域コミュニティで役立つ自分になるヒント」
場所:内幸町 日本プレスセンタービル 9F 日本記者クラブ ラウンジ


また、今回から「ライフプロデュース」研究会メンバーのホームページ、ブログ、通信などの最新記事などをご紹介していきます。

◇ 皆川靱一:「北欧から学ぶシンプルライフ」 ※ 皆川さん曰く、このblogは最近は「がんばっぺ〜中央・佃シニアサロン」の活動の軌跡が中心になっているそうです。

◇ 小平陽一:第32号 飯能近田舎通信 (1).pdf

◇ 中村昌子:地域猫活動団体「妙典Cat Fellow Net」 ※ 妙典Cat fellow netとは?

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2019年04月30日

第11回「ライフプロデュース」研究会、開催致しました。

 4月26日、第11回「ライフプロデュース」研究会、開催致しました。
平成最後の研究会参加者は80代×1名 70代後半×2名 団塊世代×2名  60代×2名―、計7名でした。
それぞれが、現役時代にひとまずピリオドを打った後、現在は地域に密着した活動に積極的に複数、関わっています。(日本橋 市川 飯能 深川 川崎など)。
 今回のテーマは「地域に密着した活動で、後継者を育成する術について」でしたが、その問いに対する明解な答えには至らなかったものの、今回のテーマが「ライフプロデュース」研究会の最も大切なテーマの一つとして位置づけられたことは成果といえるでしょう。中村は冒頭で、紅一点且つ最年少の立場で、質問をさせていただきました。

リタイア後、地域で裃(かみしも)を脱ぎ捨て「ただの人」になることは、特に現役時代要職であった男性の場合、実はとても難しい。英語で「learn」は学ぶこと、もう一つ、「unlearn」というのがあって、「unlearn」は今まで身に付けてきたことを一回外して新たなことを学ぶような意味があって、かなり意識してこれまで身に付けて来たことを外していかないと、「unlearn」は難しい。その「learn」&「unlearn」の二つが機能するダイナミズムが生まれると、リタイア後もちょっと生きやすくなる−。と、お世話になった社会学者の教授がおっしゃっていて、中村は深く共鳴し、密やかに地域社会で実践しております。今回参加者の皆さんは、それぞれの地域で、精力的にネットワークのハブとなって活動しておられ、且つ学びの実践も並行して継続しておられる。どうやって「learn」&「unlearn」の機能を効果的に使いこなしてこられたのか。「unlearn」することって、成功体験がある人間であればあるほど、とても難しい。地域社会で、企業の元管理職の男性が地域コミュニティに打ち解けず、実践的に活躍できず、むしろ、女性の方が圧倒的に新たな環境に馴染みやすい、適応能力が高いという現実がある。その点について皆様のご意見をうかがいたいと思いました。
以下、研究会の纏めの担当はAさん、レポート3名にご寄稿いただきました。(Aさんの地域活動の拠点は東京の下町、深川、Eさんは川崎市、Fさんは飯能市にて複数の地域活動のハブ的存在として精力的に活動、ネットワークを構築中!)

◇第11回「ライフプロデュース」研究会 纏め◇

テーマ「地域に密着した活動で、後継者を育成する術について」
Aさん


まず参加した7人のメンバーから各自テーマに沿って発表があり、その後フリーディスカッションに展開した。
●発表内容の中で異口同音の共通した課題があがり、一つ目は組織自体の「高齢化」の問題であり、二つ目にそれに関連して組織の「制度疲労」(仕組みとか運営方法等)が進んでいるという見方があり、最後三つ目は「次世代を担うべき(期待する)若者層の取り組み意欲」が若干低下しているように感じているということだった。
 ただ三つ目の課題は、そのこと自体けっしてその層(次世代)の人たちだけの問題ではなく、@時代や環境の想定を超えた変化が問題(社会保障制度をはじめとした将来への大きな不安等)だったり、A世代間の価値観とか物の考え方等のギャップ(ミスマッチ)もあるともとらえていて、これは双方でより歩み寄ったコミュニケーションをとることによって、その溝を埋めていく努力をしていかなければならないという話に。

 Aの活動は「地元の町内会」で、上記の問題を抱えつつ、「今の若者気質」にスポットをあて様々な視点から研究し、なんとか若者たちの参加意欲を高める努力をしていると述べ、Bさんは長年携わっている地元の活動において、次の世代である「団塊の世代」の人たちが、今一つ消極的でバトンタッチしたくてもなかなかできないという悩みを話された。その方々はビジョンには賛同するも、現在は仕事を持っていて参加してもらえないとのこと。またCさんは、若者世代がなかなかシニア世代に対して心を開いてくれないと話し、それが何故なのか?に悩んでいるとのこと。マンションの自治会の集会等への参加率も低く、イベント等の準備へも消極的と。またDさんは、現代は昔と違って「中流家庭」が減ってきており、二極化が進み、そのことが社会参加への意欲の低下につながっているように思うと述べられた。Eさんは、やはり「高齢者向けの活動施設」そのものが制度疲労を起こしつつあり、高齢者数の増加とは裏腹に活動参加人数の減少が顕著になってきていると。そして高齢者向けの活動組織が時代変化の流れとともに、新しい高齢者の支持を得られなくなっていると述べた。それに起因して、新規会員加入率も低くなりそういった組織自体の継続が困難な状況になりつつあると懸念を示した。Fさんも、関わっているいくつかの活動拠点で「後継者問題」を抱えており、かつて活気に満ちていた活動も「高齢化」の問題で様々な問題が生じていると述べた。その活動の一つは「食を通じた福祉コミュニティづくり」を目指すNPO法人であり、「ふれあい食堂」や「配食サービス」、「高齢者の見守り」等をボランティア数十人で支え続けているが、長年陣頭指揮を執ってこられた方(89歳)が代表を退かれた後も後継者の高齢化問題があり依然継続が難しい状況が続くとのこと。 


◇Eさんのレポート◇

シニアの学びとは新しいことを身に着けるという一般的な意味でのlearn の面だけではなく、もう1つの重要な学びとしてunlearn,つまり身に着けているものを外していくという面がある。名刺と肩書で生きてきた人が、定年を境にただの普通の人になるということ、これがなかなか難しく、特に成功体験が多いとは人ほど難しいと言われている。現役時代は組織をベースにした縦の関係で成り立っているが、定年後はフラットで上下関係のない平等なところからスタートする。仕事で身に着けてきたキャリア・スキルとは別のスキルの学習となり、unlearnとlearnの水平展開となる。これは他の人たちとの社会的関わり経験をすることで得られるものである。 認知心理学や社会心理学で確証バイアス(confirmation bias)と呼ばれるものがあり、自分が経験しているもの知っているもの、予測しているものへとどうしても答えを導きがちである。「分からないもの=受け入れがたいもの」であり、未知、未経験なものや、理解不能なものが現れた時に、それに対する不安が生じ拒絶する、特に男性の場合、定年を境として急に地域の活動や社会貢献活動をしようと思ったとしても、自分の中での現役時代のキャリアや価値観とのギャップやギアの切り替えが判らないなどの理由からか、unlearnつまり身に着けているものを外していくことがなかなか出来ないでいる人の方がまだまだ多いのが実情である。
さて、今回のテーマである「地域に密着した活動で、後継者を育てる術」を論ずる前に、国内最大の高齢者団体であり地域高齢者の交流の場である老人クラブ(老人会)とシルバーサービス人材センターの現状について調べてみた。
これらの組織は、地域のリタイア高齢者が元気に活動するためのリソース提供を目的に生まれたものですが、高齢者数の増加とはうらはらに、近年、活動参加人員の減少が顕著となっている。
平成22年に718万人であった全国の老人クラブ会員数は、27年には606万人と約100万人減少し(全国老人クラブ連合会資料)、シルバーサービス人材センターの会員加入数も平成21年の79万人から漸減、26年には72万人と約7万人減少している(全国シルバー人材センター事業協会統計資料) この両者に共通して言えるのが、従来は上手く機能していた高齢者向けの活動組織が、戦後生まれの高齢者の登場・増加および社会構造や時代変化の流れとともに、新しい価値観を持った高齢者の支持を得られなくなってきているという事実である。多くは趣味・文化・芸術・スポーツなどのクラブ活動、健康づくり・介護予防関連活動を中心に、ボランティアなどの社会奉仕、地域の高齢者の見守りなどの活動が行われている。
この老人クラブは平成10年をピークにクラブ数、会員数ともに減少に転じており、近年も同様の傾向が続いている。会員減少の最も大きな理由は、新規会員加入率の低さにある。その結果、クラブの会員組織自体が高齢化し、若手による事業運営の移行がスムーズに進まず、クラブ継続が困難となるといったある種の悪循環を生み出している。 新規会員獲得が上手くいかない理由として考えられるのが、新しい高齢者ニーズとのミスマッチだと言われている。活動内容の多くは、カラオケ、囲碁将棋、健康体操、ゲートボールなど、現在の中心メンバー70代のニーズにマッチした活動が中心であり 団塊世代に象徴される戦後生まれ世代にとっては、”老人クラブ“という名称自体からして、自分自身が参加すべきサークルとして共感されていない可能性が高いと言えるのではないだろうか。
次に神奈川県内のいくつかの高齢者団体について調べてみた。
@神奈川県下のA高齢者クラブ・会員150人程度 
平成19年(2007)のピーク時には300名近くの会員がいたが、年々会員数の減少を見る様になり、最近は毎年30〜40名が退会している。理由の多くは高齢化によるものであり、現在の会員総数は150名程になっている。会員の平均年齢74歳
A神奈川県下の高齢者対象のB法人・会員200人程度
 現状は会員の高齢化に伴い中心的に活動していたリーダ等の退会が増えてきている、またリーダ等をやりたがらない、新規会員が増えないなどで後継者が育たないなどの問題を抱えている。会員の平均年齢72歳
B神奈川県下のボランティアCグールプ(コミカフェ)
 スタッフが集つまらない、ノウハウ不足、専門家がいない、場所がない、資金がないなどで問題を抱えている。
これらの団体の地域活動における一般的な共通の問題点は
1・会員・スタッフの高齢化に加えて、新規会員が増えない、後継者が育たない、
2・資金不足で充分な活動ができない、無償ボランティア活動から有償へ
3・情報・知識が古く、過去の経験をベースにする傾向が強い、ITが苦手である
4・リーダ・役員等をやりたがらない
5・高齢者間での世代ギャップ、価値観のずれが大きく、物事がまとまらない
6・専門家、コーデネィターが少ない
7・現状肯定で新しいことに抵抗感がある
8・男性の参加が少ない
9・規模が小さいため力が外に向かっていかない、また個人の思いや強いリーダシップを中心として活動している
10・団体間の情報交換がない
 などがあげられる
うまく回っている団体は、IT関連を主とするパソコン、スマフォ等に対する専門的知識があり、があげられる
以上を纏めた課題・問題点は以下のとおりである

・国、行政も高齢者対策をしてはいるが、個人の価値観が多様化している中で仕組みやルール等が、人生70年、80年代をベースに設計され、また社会構造の急速な変化等に追いつかず、制度疲労を起こしてうまく回っていないのが実状である 例えば、 高齢者の就労、社会保障制度、家族構成の変化
・心ある若い世代が福祉等の分野で働いても、家族を養うため他分野へ転職してしまう。
・欧米とボランテイアの考えた方の違い、自分で出来ることは自分で、出来ないことは社会全体でサポートする体制
老人という言葉の語感は、電通総研の調査でも極めてイメージが低くなっています。60〜79歳の男女の7割強の人が、「老人という言葉は、まだ自分には早すぎる」と答えています。いままで、高齢者の一般的概念は役割の無い役割(roleless role シカゴ大学の社会学者 バージェスによって提唱)として捉えられていたが、人生100年時代を向かえた今日、その人その人に応じたそれぞれに役割があり、自分らしく人生を生きたいという人たちが増加してきており、今回のテーマもその視点から何かヒント・糸口が見つかるのではないか。

◇Fさんのレポート◇

 私が関わっている地域に密着した活動で、後継者問題を抱えているところがある。その一つに、神戸と明石にまたがる明舞地区(明石と神戸市舞子)で活動している、福祉食堂「ふれあい食事処 ひまわり」がある。この地区には、50年前に開発された大規模団地、明舞団地(戸数約11000戸)が存在する。かつては活気に満ちていたその団地も、高齢化が進み、それに伴うさまざまな問題が生じていた。
今から15年前に、私の年来の友人でもあるIさんが大学教員退職後、その地域の再生及び街の活性化のためのモデル事業に応募し、いくつものシャッターの下りたさびれた商店街の一角の空き店舗で活動を始めた。小さな「ふれあい食事処」と有機野菜の販売で始まったその活動は、地域の需要にこたえ、信頼を得ながら、いくつかの曲折を経て、やがて大きく成長を遂げ、今やその地に無くてはならない拠点となっている。
その活動は、「食を通じた福祉コミュニティづくり」を目指す「NPOひまわりの会」に結集し、「食はいのち、高齢者の食を地域で支える」をコンセプトに、現在、ふれあい食堂、配食、高齢者見守りを40数名のボランティアと共に続けている。この「ひまわり会」はコミュニティの場として、福祉の拠点として、この地区の高齢者の生活と命を支えている。
 彼女は、現在89歳。72歳からその活動を始め、NPO立ち上げから15年間代表を務め、現場で陣頭指揮を執り続けてきた。神戸のテレビ番組の中で「すごいすと(人)」と紹介されたこともあるスーパーウーマンである。そのカリスマ性から彼女のもとには人が集まってくる。ボランティア48名(男性13、女性35)の平均年齢は70歳、最高齢は90代である。みな彼女の人柄に惚れ込んだ人たちで、元気な高齢者が、支援の必要な高齢者を支えている。この15年の間、ボランティア仲間や支援している高齢者の死をもいくつも身近に見ながら、年ごとにしんどくなる体を引きずりながらここまでやってきた。
この数年、彼女の口癖は、「やめるー、やめるー、引退やー」だった。ようやく、周囲の声を振り切って昨年代表を辞し、理事となって一線を退いた、はずだった。バトンを渡された後継者の一人は、60代半ばの私の知人でもある。しかし、Iさんの存在が大きすぎる故に、同じようにやれるはずはなく、地域や仲間からの期待や使命も重荷で、見ていて辛そうな状況にある。実質、「ふれあい食堂ひまわり」はIさんなしでは回らず、今も朝5時半には食堂に出て、スタッフやボランティアにはっぱを掛け、日曜日は以前からの継続事業である男性のための料理教室を続け、代表時と同様の活動が続いている。Iさんのこの活動がいつまでも続くはずはなく、気力で頑張っている彼女の姿は勇ましくもあり痛々しくもある。
先月、Iさんの出版記念会が神戸で催された。『ひまわりの日々 食から広がる地域のつながり』という本が発刊されたのだ。その内容は、ひまわり食堂のこの15年の活動を綴ったものである。この会には、Iさんを支える60余名の参加者が全国から集まり、盛会となった。私は、この記念会の発起人の一人で、当日の司会進行を担当した。しかし、この会が催される準備段階から当日まで、その運営を巡っては様々な意見や横やりが入り混乱したのである。船頭が多いのである。Iさんが抜けた後の「ひまわり」の様子が今から思いやられる。さて、この後継者問題、Iさんの個人的な力が大きかっただけに難しくなっているように見える。どうしたらよかったのか? 今後どんな展開になるのか? 遠方にいる身では見守るしかない。

◇ Aさんのレポート ◇


 私の地域活動は地元の「町内会」で、いろいろと課題も多いがこの場で批判や愚痴を申し上げるのも如何か?と思い、風呂敷を広げて今の日本全体が抱えている問題、課題とも共通する部分も多いので、その観点から以下に述べていきたい。
<課題>
(1) 幹部役員の人員構成の「少子高齢化」(次世代の人数も極端に少ない)
    現在の会長はじめ主な執行部はほぼオーバー70歳(青年部長も前期高齢者)
    ⇒伝統を重んじる、いわゆる保守的な体質(良さ、悪さ共にあり!)
(2) 次世代の人たちの承継意欲低い⇒「昭和のビジネスモデル」は拒絶反応!

●現代の若者の意識調査(2015年 内閣府発表)
欧米先進国(主に米、英、仏、独)の若者と比較
 @「自己肯定感」が低い
  *うまくいくかどうか分からないことに対して、積極的に取り組む意欲が低い
 A「社会参加」への意識低い
  ⇒「社会問題」への関心が低く、「社会参加」への意欲も低い
  様々な「社会現象」について、自分が行動を起こしても何も変わらないという意識が強い。    
  *「デモ」に参加しない、「投票」に行かない等 (参考)
  今年の東大入試で異変:合格者の平均点(初めて) 文Tより文Uが上回る
 ・「政治家」及び「官僚」離れ⇒民間企業や自分で起業して、ビジネスの世界へ
  ⇒「統一地方選」でも、無投票当選区が30%くらいもある
  ⇒長く下積み生活するより、若い時期から第一線で活躍出来るし、高収入が期待できる(ビジネスの世界の方が)
B「自分の将来に明るい希望」が持てない
 ⇒「外的要因」:自分の国の将来に対する期待・希望が持てない
   (年金、医療、介護等社会保障の先行きと国の抱える借金に大きな不安!)
  「内的要因」:家族関係、学校生活、職場生活に満足感、充実感が持てない
 *『将来、結婚して子育てをしているイメージを持つことが出来ない、自信がない』
C「友人関係」への満足度は低い
*一人で余暇を楽しむ⇒「ソロ活」(焼き肉、カラオケ、水族館、遊園地等)
・「ソロキャンパー」流行?(一人でキャンプ)⇒自然の中で心を癒す(特にIT)
 友人と一緒だと食事の時間等ペース配分に気を遣うため、一人で楽しみたい

★「真面目で誠実で堅実で、優しい若者像」
・自分の将来に大きな不安を抱えている状況下で、家族を持つこと、子どもを産み育てることは無責任ではないか?と真剣に考え、悩んでいる人も多い。
・社会とか世の中を大胆に変えようという意識は低いが、一方で困っている人に対してのボランティア活動等には積極的に参加する若者は増えている。
★こういった傾向は、けっして若者たちだけが批判されるべきものではなく、我々親世代がそうした環境、社会を作ってきてしまったという責任も大きいのでは?

●『平成の〇〇離れ』ランキング
 @タバコ、A新聞、Bギャンブル(麻雀せず)、Cゴルフ、D恋愛、
Eゲーム(⇒スマホで代替)、F結婚、G車、Hカラオケ、Iお酒
 *因みに、お小遣いの使い道のNO.1は「貯金」
⇒これからも、今の若者の「将来不安」→「堅実な生き方、ライフスタイル」が透けて見えてくる!

●作詞家なかにし礼の最近の歌(平成の若者)についてのコメント 
 「こじんまり自己完成し過ぎている」、「外に対して訴えるような情熱を感じない」「あなたと私、僕たちといった小さな世界でまとまっている」、「お行儀が良い」、「自分の言葉、本音で語っていない」→「嫌われることを恐れて本音を言わない」⇒『キレイごとだけじゃ感動しない!』(なかにし礼 作詞の信念!)(人間には表も裏もある)
 
<後継者育成>⇒参考に!(プロ野球元大リーガーのコーチング理論より)
@「コミュニケーション」重視!(フラットな立場での)
A「自主性の尊重」⇒新たな提案等もたとえ間違っていると思っても、一度は受け止め自分たちでやらせてみて、その上でうまくいかなかった場合には、きちんと「自己評価」なり「反省点」を自分の言葉で述べてもらう。次に向けて「どうしたいか?」を考えさせる、提案させる、そして責任を持たせることが重要!

●山本五十六(海軍大将・連合艦隊司令長官)名言
『やってみせ、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ
話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず』   


〜令和の時代へ向けて〜  
中村昌子

以上、今回はテーマや問いに対する明解な回答を得たわけではなかったのですが、3時間半に亘る意見交換の場、終了後、この研究会の今後に一筋の光を得た心地になりました。自らを「老人」「シニア世代」と認知している世代と、老人という言葉の語感は自分にはそぐわず、「老人という言葉は、まだ自分には早すぎる」と答え、「シニア世代」という表現もしっくりこない50代後半から70代前半世代ー。
 明日から始まる令和の時代、日本社会でボリューミーな世代といえる、団塊世代を含めた60代70代世代は、自らの小さな意識変革と微調整で地域社会でもっと役立つ存在となり得るのではないでしょうか。Eさん(団塊世代)のレポートにもあるように、これまでの高齢者の一般的概念、roleless role (役割のない役割 シカゴ大学の社会学者 バージェスによって提唱)は少数派となり、多様でエイジフリーな社会で、社会に役立つ存在になることへの一人一人の覚悟と自負がもっと必要だと感じた良い機会でした。

明日から始まる≪令和≫の時代が、皆様にとって健やかで心豊か日々となりますように。


「ライフプロデュース」研究会メンバー一同

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◇第12回「ライフプロデュース」研究会 開催のお知らせ◇
日時:2019年5月29日(水曜日)18:00〜21:30
テーマ:「令和の時代、身近な地域コミュニティのSDGs」
場所:内幸町 日本プレスセンタービル 9F 日本記者クラブ ラウンジ

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2019年03月24日

第10回「ライフプロデュース」研究会、開催しました。

3月22日、第10回「ライフプロデュース」研究会開催しました。
今回は、帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ」答えの出ない事態に耐える力 の読書会でした。
◇著者略歴
帚木蓬生(ははきぎほうせい)
1947年、福岡県生まれ。作家、精神科医。ペンネームは、『源氏物語』五十四帖の巻名「帚木(ははきぎ)」と「蓬生(よもぎう)」から。 本名、森山 成彬(もりやま なりあきら)。1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学ぶ。2018年1月現在は精神科医。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞、2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞、2012年『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作で日本医療小説大賞、2013年『日御子』で歴史時代作家クラブ賞作品賞をそれぞれ受賞。『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『守教』といった小説のほか、新書、選書、児童書などにも多くの著作がある。


ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)。
どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指す。世間では一般に、問題の解決を急ぐあまり、既存の理論や考えによって、すぐに答えを出そうとするが、そうした態度から一歩引いて、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味するとある。今回の読書会では、以下についてご準備いただきました。
1.過去にご自身の体験を振り返り、家族関係、職場で、対人関係などでの具体例を一人一件ずつご紹介ください。
  @ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮すべきだった事例。
  Aネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮した結果、〜になった事例。
2.第1章から第10章までの1つの章を選んで私見を述べてください。
帚木蓬生 ネガティヴ ケイパビリティ.JPG

今回の参加者は5名と少なかったのですが、食事を挟んで会場が閉まるギリギリまで活発な意見交換がされました。第10章「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」でトランプ大統領と現代のヒューマニスト・メルケル首相の対比について活発な意見が交わされたタイミングでタイムアウトになってしまったことがとても残念でした。寛容の精神を歴史的に遡っていくと、ルネッサンス期のヒューマニストに行きつく(P203)エラスムス、マルチン・ルター、ラブレー、モンテーニュ....耳覚えのある名前ですが...。正に、学べば学ぶほど未知の世界が広がっていきますね。

以下、順不同

J.M

「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(帚木 蓬生著)
を読み、一つの章について私見を述べよ          

 私が選んだのは、第六章「希望する脳と伝統治療師」である。
さて、そもそも私たちの脳は生来的に、物事をポジティブに考えるようにできているという。米国の調査では、「あなたは百歳以上生きるだろうか」との質問に対して、一割の人が「イエス」と答えたそうだが、実際に百歳まで生きる率は、わずか0.02%なのだ。ヒトが何十万年にもわたって生き延びるうちに、脳がそういう方向に進化したと考えられる。生存のためには、悲観的に考えるより、楽観的に考える方=明るい未来を想像することで、ヒトは困難を生き延びて来たのだというが、著者によるとそんな楽観的希望の効用は、医学的にも証明されているという。これには驚かされる。
例えば、放浪の画家山下清(1922―1971)は精神医学的に診断すれば、知的障害と自閉症スペクトラム障害、そしてサヴァン症候群を併せ持っていた。3年間の放浪の末、彼が放浪中に見た風景の貼り絵は、プロの画家さえも脱帽する芸術作品になっている。彼の才能を育んだのは、彼が生活した八幡学園の療育理念と、周囲の温かい共感とネガティブ・ケイパビリティではなかったかと言われている。そんな環境の中では、障害のある脳も希望を持ち、世にまたとない作品を遺したとの著者の説には、私も素直にうなずける。
この希望する脳を最大限に利用して、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しているのが伝統治療師、占い師らのメディシンマンである。現代の精神科医は薬の効き方については良く知っているが、患者の扱い方に関してはメディシンマン以下である、と。例えば、彼らが繰り返す技法を見直すと、現代のあらゆる精神療法に共通する、治療者としてのあるべき基本的態度が浮かび出てくると断言。例えば、病人の肉親や友人に対して、遠い山の薬草を採りに行かせる手法で、重要なのは薬草そのものの効果ではなく、家族らが病人のために危険を冒して長旅をし、薬草と共に戻って来るまで患者はずっと自分を鼓舞して希望を持ち、期待が大きければ、その薬草の効果が大したことなくても、効いた感じがして一過性に元気になる可能性もある。うまくいけば、その間に病が峠を越し、自然治癒力によって快方に向かうかもしれない。
この原初的な治療の場に働いている要素は、わが国でも古くから言われている時間稼ぎともいえる「日薬」と、メディシンマンが病人の苦しみから眼を離さずに見守り、あなたの奮闘ぶりもよく知っているという「目薬」だ。病人も家族も安堵を覚える双方とも、見事なネガティブ・ケイパビリティの力の発揮である。
私にも大いに共感・賛同できる「第六章」であった。

T.W


● 第5章 『身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ』
今から8年ほど前、定年退職と同時に、キャリアカウンセラー(今は呼称をコンサルタントに統一)の養成学校へ通っている時の話で、3か月連続授業がほぼ9割がた終りかけた頃に先生との個別面談があり、その場で先生より、「Wさんはこのカウンセラーという仕事には向いていないかも知れませんね?」と切り出され、私は最初「3か月毎日真面目に勉強してきたのに、先生は今更何を仰るのかな?」とビックリ!!
 その理由を聞いてまあ納得したのですが、その理由とは2つありまして、1つは(そのまま引用で恐縮ですが)「Wさんを3か月ずっと見てきて感じたことを正直に言うと、性格的には面倒見がいいというか、多少お節介な面もあったりでそれ自体は決して悪いことではないんですが、いざカウンセリングとなると時にその性格が災いして、相談者の気持ちに入り過ぎたり、その悩みを一緒に背負ってしまうこともあるかも?最悪のケースは、Wさん自身が夜も寝られなくなるほど悩んだり、精神的に病んでしまう可能性も考えられる。実際、私はそういった不幸な事例をいくつか見てきているんです。あと一つは、これは企業で管理職を経験してきた人に時々見られる傾向ですが、相談者の問題解決を急ぎ過ぎたり、自分の過去の経験談とか成功事例などを振りかざして、上から目線でアドバイスとか指導をしたり、はたまた説教までしてしまう傾向の人がいるが、Wさんも多少その傾向がみられるように感じている。相談者はそんな態度を少しでも感じた時点で、もうそれ以上は本音で悩みを打ち明けようとはしないでしょうし、場合によってはカウンセリングを拒否するかも?」
「私は別に、後輩とか部下に対してアドバイスとか説教とかをすることを否定するつもりはないですが、それはまた別の場所でやって頂くということで、授業で何度も言った通り、あくまでカウンセリングとは、けっして問題解決を急いではならないし、カウンセラーとは相談者の鏡のような存在(自分を客観的に見られる、自問自答できる)であり、基本的には傾聴と共感に徹することが原則で、あくまで相談者自身が自分の悩みの本質に気付くまでは根気よく寄り添うことが使命であり、その先に相談者自らが解決策、解決方法を見出すまではけっして解決のためのアドバイスとか指導をしたりしてはいけない。」
と言われたことを思い出し、その理由を聞けば、「先生はけっして私がカウンセラーとして適性がないということを告げることが本意ではなく、それだけの覚悟がありますか?と試されたと思いますし、いわゆる愛のムチだったように受け止めた記憶があります。
この時は、ネガティブ・ケイパビリティという概念は知りませんでしたが、今振り返るとまさにこの「カウンセリング」という行為と言いますか、カウンセラーとして求められる能力こそネガティブ・ケイパビリティだったのかなと受け止めた次第です。
以上



Y.K

「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(帚木蓬生著)を読んで

この本の内容は、いちいち腑に落ちる。顧みれば、「答えの出ない事態」というのは我々の回りにあまた存在する。そして、それらは我々に苛立ちともどかしさと不安定を与える。それに耐えることは、答の出ない事態をそのまま受け入れることに通じる。つまり、答を出さないまま“受容”するということだ。
我々はそれに耐え切れず、つい分かりやすい答えに飛びついてしまう。あるいは、面倒なことを切り捨てて一面的な決めつけ(答え)を出してしまう。それは、物事の単純化であり、曖昧さや複雑さの受け入れからの逃避である。そのことによって、我々は不安定さから逃れ、事態を正面から取り組むことを止めてしまう。それは、得てして危険な結果を招くことにも結び付くように思う。
考えてみれば、我々が受けてきた教育というものは、ほとんどが答えありきだったように思える。〇か✕か、白か黒か。本当は濃淡のあるグレーがあったり、△や□があったりするはずなのに。
私事、振り返ってみると、化学の教師から家庭科にシフトチェンジした経歴がある。そこでの大きな戸惑いと発見は、化学には答えが必ずあった、いや、それが付きものだったものが、家庭科では必ずしもあるとは限らない、いや、あることの方が少ない世界だったことである。化学の時は、生徒の学業評価は簡単だった。正解不正解を合算して単純に点数で切ればよかったからだ。しかし、家庭科で評価をつけることは至難であった。いや、評価をすることで苦しんだ。〇×では割り切れないからだ。家庭科は人の生き方を考える教科と捉えていた。いわば生活の哲学だ! 人の生き方に正解などあろうはずはない。いやむしろ、それぞれが、自分の正解を求める教科だと考えた。つまり、ある人にとっては正解でも、他の人にとっては不正解だったりもする。答は、たくさんあるのだ。
もう少し範囲を広げて考えてみたい。そもそも、欧米文化を背景とした近代科学は、複雑系の自然を成分や要素に分解して単純化をはかり、それを再構築して事象を説明してきた。一見、そこには簡明さがあり、〇×の世界で効率がよく、それを応用することで我々に便利さと生産効率をもたらした。しかし、そこには大きな欠陥があった。成分同士の相互作用、または曖昧さや複雑系を切り捨てていた。時にはそれは、平和を破壊し、戦争や公害、原発事故のような惨事にも繋がって来る。
日本の近代化の過程において、我々は、急速に西洋文化を取り入れて、いまやそれにどっぷりと浸かっているように見える。その過程で、見失ってきたのは東洋的曖昧さや、和の調和性ではないだろうか? 卑近な例を挙げれば、論理性や対処療法を得意とする西洋医学に対して、経験や演繹に基づく東洋医学。前者は、悪い所は切ったり、薬物で制圧したりするのに対し、後者は、漢方や薬膳などのように自らの免疫力を利用する総合的なやり方で、ネガティブ・ケイパビリティは後者に近いのではないだろうか?
ネガティブ・ケイパビリティの世界に近いものを列挙してみると、感性、寛容、共感、感じる力、感覚、あいまいさ、複雑系、柔軟性、適当、ほぼほぼ、受容、共生…。僕はこちらの世界の方が居心地がいい。

第31号 飯能近田舎通信 (2).pdf


Y.N

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)。あまり耳慣れない言葉だが、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指す。世間では一般に、問題の解決を急ぐあまり、既存の理論や考えによって、すぐに答えを出そうとするが、そうした態度から一歩引いて、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する。

人生振り返ると,小学校6年間と中学校3年間の計9年間が、最初に、ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮できた、いや否応なしに発揮せざるを得ない期間だったかも知れない。
4人きょうだい末っ子の私は、姉兄たちの通っていた茨城大学教育学部付属小学校に合格できず地元の市立小学校に通い、中学校は自分の意思で受験せずにそのまま地元市立中学校に進んだ。この9年間、上のきょうだい3人が夕食時などに、友人とそのきょうだいたちの情報を共有する会話に参加できず、両親が家業再建に忙しかった時期も相重なって、子どもながらきょうだいの中で大きな疎外感や孤独感を感じていたと記憶する。その一方で、地元の市立小学校では、複数の生活困窮者家庭や、両親が全盲だったり、父親が便所の汲み取り屋さんで虐められている子がいたりと、きょうだいたちが通う同質性傾向大の付属小中学校と比べ、世の中には多様な家庭環境があることを子どもながら感じ、この著書でいうところの共感力:empathyが自然に醸成された気がする。当時の私は、家庭では疎外感を感じ、学校では、天真爛漫にクラスメートと心底打ち解けられず、言わば、境界線に立ちすくむ「マージナル・マン」というか、宙ぶらりんのまま揺れ動く、少し変わった子どもだったかも知れない。が、この自分の存在の違和感について、辛いと感じつつ、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中に居心地悪くても居続けざるを得なかった状況」がその後、人生の様々なシチュエーションで、「宙ぶらりん」の状況や立場になっても、何とかふんばり続けられる力の原点だったような気がする。あれから50年の歳月が経った現在、「公立小学校」の教壇に立っている私に、7歳から15歳当時の私は何て声をかけるだろうか。巡り巡って人生はだ・か・ら面白い。

 第9章「教育とネガティブ・ケイパビリティ」の一節、「学べば学ぶほど未知の世界が広がっていく。学習すればするほど、その道がどこまでも続いていることが分かる。あれが峠だと思って坂を登りつめても、またその後ろに、もう一つの高い山が見える。そこで登るのをやめてもいいのですが、見たからにはあの峰に辿り着いて見たい。それが人の心の常であり、学びの力でしょう。つまり、答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄でしょう。」(P192) 「学習と言えば、学校の課題、塾の課題をこなすことだと早合点してしまいがちです。世の中にはもっと他に学ぶべきものがあるのに、親はそれを子どもに伝えるのさえも忘れてしまいます。」(P192) 「問題設定が可能で、回答がすぐ出るような事柄は、人生ほんの一部でしょう。残りの大部分は、わけが分からないまま、興味や尊敬の念を抱いて、生涯かけて何かを摘み取るのです。それまでは耐え続けなければならないのです。」(P193) 正に共感する一節だ。ふと、レイチェル・カーソン(海洋生物学者)が著した『センス・オブ・ワンダーを探して』(大和書房 2011年)が脳裏に浮かんだ。「センス・オブ・ワンダー」は直訳すると、ワンダーする気持ち 自然の美しさ・精妙さに打たれる気持ちを大切にしよう!だ。子ども時代に育んだ、神秘さや不思議さに目を見張る感性がその人をずっと支え続ける。知ることは感じることの半分も重要では無く、“It is not half so important to know as to feel.”― Rachel Carson 子供時代は、その感じることの土壌を耕す時代である。神秘さや不思議さに目を見張る感性を育み分かち合うには子供時代が一番なのだろう。この章の最後は、スクールカウンセラーの臨床心理士から届いた手紙を紹介し、子供たちにも、問題解決能力(ポジティブ・ケイパビリティ)だけでなく、この「どうしても解決しないときにも持ちこたえていくことが出来る能力(ネガティブ・ケイパビリティ)を培ってやる」という視点も重要だと結んでいる。

 以上、とりとめもなく綴ったが、この本は、全体的に難解であったが、自分の半生と照らし合わせつつ共感できる章について紐解くと、なかなか読み応えがある著書だった。

F.O

1・この本を読んでの感想・私見
  全章から成る程と思える記述が沢山ありましたが、特に第4章の「ネガティブ・ケイパビリティと医療」についてはいろいろと示唆に富んだ内容であった。医学教育で重視されるのは「ポジティブ・ケイパビリティ」で診療録の記録もSOAP「Sはsubjectで患者の主観的な言動や症状、OはObjectで検査で得た客観的なデータ、AはassesmentでSとOとの判断評価、PはPlanで解決のための計画、治療方針を言う」が当たり前となっているが、例えばターミナル医療では上記の考えでは対応できないことが多々あり、こういった場合、人間は誰も見ていないとところでは苦しみは耐えられないものであり、共感とホールディング(抱える)、(英国の小児科医ウイニコットの概念)今生じていることを手を加えずに持ちこたえることであり、またヒューマニティは医療のホルモンである(カナダの医師ウイリアム・オスラー)など含蓄のある言葉であり、また一人一人、顔や形が違うように個人差もあり千差万別であり傾向性はデータで把握できるが、マニアルやSOAPだけでは解決できないことが多くあるとの考えに、この近代科学の目覚ましい進歩でIPS細胞から殆どの細胞が出来る今日でも、人の心、精神の問題解決にはある意味で永遠のテーマであることにほっとした思いと同時に、実に人間は繊細で不思議な生き物であるのかをこの本を読んで改めて認識させられた。

2・ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮した結果、〜なった事例。
 私が現役時代に人事より2人預かってくれないかと言われ、1人は40代前半、もう1人は30代後半で、2人に共通しているのは同期の中でもトップクラスで学生時代から挫折を知らないで今迄過ごしてきていた。1人は課長、もう一人はマネジャーとなって間もなく心の病・精神疾患(躁鬱病と適応障害)を発症、1人は休職して少し出社してはまた休職という状態が続いていた。もう1人は休職までにはならないもの、出社はするもののパソコンの前でフリーズ状態、産業医や専門医に通院するも一考に改善は見られない状況が1年程続いた。私はこのような精神疾患を患った人との対処の仕方や知識が無かったので、はじめはどう対応して良いのか分からず、産業医に個別に相談していろいろ実行してみたもののどうもうまくいかず、奥さんとも面談して会社以外の行動などを聞いりした。また部員にはその状況を話し、情報などは全て共有するようにして仕事も期限のない資料調査などをやってもらうように長い目で対応するようにした。その間、症状が悪化して周りとトラブルになったりしたこともあったが、元々は優秀なので資料の出来栄えも良く、「いい資料だね、また頼むよ」といった調子で自然な形で接していくうちに次第に自信を取り戻し始めると、コミュニュケーションも円滑になり、負のスパイラルから徐々に元の状態近くまでに回復し、別の部門でまた活躍するようにまでになった。当時はネガティブ・ケイパビリティの言葉や概念さえもなく、今に思えば性急に結果を求めず、長いスパンで捉え、その立場になって共に考える信頼関係・共感が少しは良い影響をもたらしたのではないかと、この本を読んで改めて感じた次第である。最近、引き籠りや発達障害など心の問題を抱える大人が増えてきており、ネガティブ・ケイパビリティの共感・寛容のこころで対応・接していきたいものである。

次回、第11回 「ライフプロデュース」研究会 月例会
4月26日(金) 18:00〜21:00
場所:内幸町 日本プレスセンタービルディング 9F 日本記者クラブ ラウンジです。
テーマ:「地域に密着した活動で、後継者を育てる術」

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写真:旧大洗岬灯台(大洗灯柱・磯浜灯柱)のてっぺんで羽を休める一羽のカモメ (2019/03/13 撮影:中村昌子)
posted by ライフプロデュース研事務担当 at 09:42| Comment(0) | 日記