2019年03月24日

第10回「ライフプロデュース」研究会、開催しました。

3月22日、第10回「ライフプロデュース」研究会開催しました。
今回は、帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ」答えの出ない事態に耐える力 の読書会でした。
◇著者略歴
帚木蓬生(ははきぎほうせい)
1947年、福岡県生まれ。作家、精神科医。ペンネームは、『源氏物語』五十四帖の巻名「帚木(ははきぎ)」と「蓬生(よもぎう)」から。 本名、森山 成彬(もりやま なりあきら)。1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学ぶ。2018年1月現在は精神科医。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞、2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞、2012年『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作で日本医療小説大賞、2013年『日御子』で歴史時代作家クラブ賞作品賞をそれぞれ受賞。『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『守教』といった小説のほか、新書、選書、児童書などにも多くの著作がある。


ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)。
どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指す。世間では一般に、問題の解決を急ぐあまり、既存の理論や考えによって、すぐに答えを出そうとするが、そうした態度から一歩引いて、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味するとある。今回の読書会では、以下についてご準備いただきました。
1.過去にご自身の体験を振り返り、家族関係、職場で、対人関係などでの具体例を一人一件ずつご紹介ください。
  @ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮すべきだった事例。
  Aネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮した結果、〜になった事例。
2.第1章から第10章までの1つの章を選んで私見を述べてください。
帚木蓬生 ネガティヴ ケイパビリティ.JPG

今回の参加者は5名と少なかったのですが、食事を挟んで会場が閉まるギリギリまで活発な意見交換がされました。第10章「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」でトランプ大統領と現代のヒューマニスト・メルケル首相の対比について活発な意見が交わされたタイミングでタイムアウトになってしまったことがとても残念でした。寛容の精神を歴史的に遡っていくと、ルネッサンス期のヒューマニストに行きつく(P203)エラスムス、マルチン・ルター、ラブレー、モンテーニュ....耳覚えのある名前ですが...。正に、学べば学ぶほど未知の世界が広がっていきますね。

以下、順不同

皆川靭一

「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(帚木 蓬生著)
を読み、一つの章について私見を述べよ          

 私が選んだのは、第六章「希望する脳と伝統治療師」である。
さて、そもそも私たちの脳は生来的に、物事をポジティブに考えるようにできているという。米国の調査では、「あなたは百歳以上生きるだろうか」との質問に対して、一割の人が「イエス」と答えたそうだが、実際に百歳まで生きる率は、わずか0.02%なのだ。ヒトが何十万年にもわたって生き延びるうちに、脳がそういう方向に進化したと考えられる。生存のためには、悲観的に考えるより、楽観的に考える方=明るい未来を想像することで、ヒトは困難を生き延びて来たのだというが、著者によるとそんな楽観的希望の効用は、医学的にも証明されているという。これには驚かされる。
例えば、放浪の画家山下清(1922―1971)は精神医学的に診断すれば、知的障害と自閉症スペクトラム障害、そしてサヴァン症候群を併せ持っていた。3年間の放浪の末、彼が放浪中に見た風景の貼り絵は、プロの画家さえも脱帽する芸術作品になっている。彼の才能を育んだのは、彼が生活した八幡学園の療育理念と、周囲の温かい共感とネガティブ・ケイパビリティではなかったかと言われている。そんな環境の中では、障害のある脳も希望を持ち、世にまたとない作品を遺したとの著者の説には、私も素直にうなずける。
この希望する脳を最大限に利用して、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しているのが伝統治療師、占い師らのメディシンマンである。現代の精神科医は薬の効き方については良く知っているが、患者の扱い方に関してはメディシンマン以下である、と。例えば、彼らが繰り返す技法を見直すと、現代のあらゆる精神療法に共通する、治療者としてのあるべき基本的態度が浮かび出てくると断言。例えば、病人の肉親や友人に対して、遠い山の薬草を採りに行かせる手法で、重要なのは薬草そのものの効果ではなく、家族らが病人のために危険を冒して長旅をし、薬草と共に戻って来るまで患者はずっと自分を鼓舞して希望を持ち、期待が大きければ、その薬草の効果が大したことなくても、効いた感じがして一過性に元気になる可能性もある。うまくいけば、その間に病が峠を越し、自然治癒力によって快方に向かうかもしれない。
この原初的な治療の場に働いている要素は、わが国でも古くから言われている時間稼ぎともいえる「日薬」と、メディシンマンが病人の苦しみから眼を離さずに見守り、あなたの奮闘ぶりもよく知っているという「目薬」だ。病人も家族も安堵を覚える双方とも、見事なネガティブ・ケイパビリティの力の発揮である。
私にも大いに共感・賛同できる「第六章」であった。皆川 靱一 (了)


若井泰樹


● 第5章 『身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ』
今から8年ほど前、定年退職と同時に、キャリアカウンセラー(今は呼称をコンサルタントに統一)の養成学校へ通っている時の話で、3か月連続授業がほぼ9割がた終りかけた頃に先生との個別面談があり、その場で先生より、「若井さんはこのカウンセラーという仕事には向いていないかも知れませんね?」と切り出され、私は最初「3か月毎日真面目に勉強してきたのに、先生は今更何を仰るのかな?」とビックリ!!
 その理由を聞いてまあ納得したのですが、その理由とは2つありまして、1つは(そのまま引用で恐縮ですが)「若井さんを3か月ずっと見てきて感じたことを正直に言うと、性格的には面倒見がいいというか、多少お節介な面もあったりでそれ自体は決して悪いことではないんですが、いざカウンセリングとなると時にその性格が災いして、相談者の気持ちに入り過ぎたり、その悩みを一緒に背負ってしまうこともあるかも?最悪のケースは、若井さん自身が夜も寝られなくなるほど悩んだり、精神的に病んでしまう可能性も考えられる。実際、私はそういった不幸な事例をいくつか見てきているんです。あと一つは、これは企業で管理職を経験してきた人に時々見られる傾向ですが、相談者の問題解決を急ぎ過ぎたり、自分の過去の経験談とか成功事例などを振りかざして、上から目線でアドバイスとか指導をしたり、はたまた説教までしてしまう傾向の人がいるが、若井さんも多少その傾向がみられるように感じている。相談者はそんな態度を少しでも感じた時点で、もうそれ以上は本音で悩みを打ち明けようとはしないでしょうし、場合によってはカウンセリングを拒否するかも?」
「私は別に、後輩とか部下に対してアドバイスとか説教とかをすることを否定するつもりはないですが、それはまた別の場所でやって頂くということで、授業で何度も言った通り、あくまでカウンセリングとは、けっして問題解決を急いではならないし、カウンセラーとは相談者の鏡のような存在(自分を客観的に見られる、自問自答できる)であり、基本的には傾聴と共感に徹することが原則で、あくまで相談者自身が自分の悩みの本質に気付くまでは根気よく寄り添うことが使命であり、その先に相談者自らが解決策、解決方法を見出すまではけっして解決のためのアドバイスとか指導をしたりしてはいけない。」
と言われたことを思い出し、その理由を聞けば、「先生はけっして私がカウンセラーとして適性がないということを告げることが本意ではなく、それだけの覚悟がありますか?と試されたと思いますし、いわゆる愛のムチだったように受け止めた記憶があります。
この時は、ネガティブ・ケイパビリティという概念は知りませんでしたが、今振り返るとまさにこの「カウンセリング」という行為と言いますか、カウンセラーとして求められる能力こそネガティブ・ケイパビリティだったのかなと受け止めた次第です。
以上



小平陽一

「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(帚木蓬生著)を読んで

この本の内容は、いちいち腑に落ちる。顧みれば、「答えの出ない事態」というのは我々の回りにあまた存在する。そして、それらは我々に苛立ちともどかしさと不安定を与える。それに耐えることは、答の出ない事態をそのまま受け入れることに通じる。つまり、答を出さないまま“受容”するということだ。
我々はそれに耐え切れず、つい分かりやすい答えに飛びついてしまう。あるいは、面倒なことを切り捨てて一面的な決めつけ(答え)を出してしまう。それは、物事の単純化であり、曖昧さや複雑さの受け入れからの逃避である。そのことによって、我々は不安定さから逃れ、事態を正面から取り組むことを止めてしまう。それは、得てして危険な結果を招くことにも結び付くように思う。
考えてみれば、我々が受けてきた教育というものは、ほとんどが答えありきだったように思える。〇か✕か、白か黒か。本当は濃淡のあるグレーがあったり、△や□があったりするはずなのに。
私事、振り返ってみると、化学の教師から家庭科にシフトチェンジした経歴がある。そこでの大きな戸惑いと発見は、化学には答えが必ずあった、いや、それが付きものだったものが、家庭科では必ずしもあるとは限らない、いや、あることの方が少ない世界だったことである。化学の時は、生徒の学業評価は簡単だった。正解不正解を合算して単純に点数で切ればよかったからだ。しかし、家庭科で評価をつけることは至難であった。いや、評価をすることで苦しんだ。〇×では割り切れないからだ。家庭科は人の生き方を考える教科と捉えていた。いわば生活の哲学だ! 人の生き方に正解などあろうはずはない。いやむしろ、それぞれが、自分の正解を求める教科だと考えた。つまり、ある人にとっては正解でも、他の人にとっては不正解だったりもする。答は、たくさんあるのだ。
もう少し範囲を広げて考えてみたい。そもそも、欧米文化を背景とした近代科学は、複雑系の自然を成分や要素に分解して単純化をはかり、それを再構築して事象を説明してきた。一見、そこには簡明さがあり、〇×の世界で効率がよく、それを応用することで我々に便利さと生産効率をもたらした。しかし、そこには大きな欠陥があった。成分同士の相互作用、または曖昧さや複雑系を切り捨てていた。時にはそれは、平和を破壊し、戦争や公害、原発事故のような惨事にも繋がって来る。
日本の近代化の過程において、我々は、急速に西洋文化を取り入れて、いまやそれにどっぷりと浸かっているように見える。その過程で、見失ってきたのは東洋的曖昧さや、和の調和性ではないだろうか? 卑近な例を挙げれば、論理性や対処療法を得意とする西洋医学に対して、経験や演繹に基づく東洋医学。前者は、悪い所は切ったり、薬物で制圧したりするのに対し、後者は、漢方や薬膳などのように自らの免疫力を利用する総合的なやり方で、ネガティブ・ケイパビリティは後者に近いのではないだろうか?
ネガティブ・ケイパビリティの世界に近いものを列挙してみると、感性、寛容、共感、感じる力、感覚、あいまいさ、複雑系、柔軟性、適当、ほぼほぼ、受容、共生…。僕はこちらの世界の方が居心地がいい。

第31号 飯能近田舎通信 (2).pdf


中村昌子

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)。あまり耳慣れない言葉だが、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指す。世間では一般に、問題の解決を急ぐあまり、既存の理論や考えによって、すぐに答えを出そうとするが、そうした態度から一歩引いて、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する。

人生振り返ると,小学校6年間と中学校3年間の計9年間が、最初に、ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮できた、いや否応なしに発揮せざるを得ない期間だったかも知れない。
4人きょうだい末っ子の私は、姉兄たちの通っていた茨城大学教育学部付属小学校に合格できず地元の市立小学校に通い、中学校は自分の意思で受験せずにそのまま地元市立中学校に進んだ。この9年間、上のきょうだい3人が夕食時などに、友人とそのきょうだいたちの情報を共有する会話に参加できず、両親が家業再建に忙しかった時期も相重なって、子どもながらきょうだいの中で大きな疎外感や孤独感を感じていたと記憶する。その一方で、地元の市立小学校では、複数の生活困窮者家庭や、両親が全盲だったり、父親が便所の汲み取り屋さんで虐められている子がいたりと、きょうだいたちが通う同質性傾向大の付属小中学校と比べ、世の中には多様な家庭環境があることを子どもながら感じ、この著書でいうところの共感力:empathyが自然に醸成された気がする。当時の私は、家庭では疎外感を感じ、学校では、天真爛漫にクラスメートと心底打ち解けられず、言わば、境界線に立ちすくむ「マージナル・マン」というか、宙ぶらりんのまま揺れ動く、少し変わった子どもだったかも知れない。が、この自分の存在の違和感について、辛いと感じつつ、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中に居心地悪くても居続けざるを得なかった状況」がその後、人生の様々なシチュエーションで、「宙ぶらりん」の状況や立場になっても、何とかふんばり続けられる力の原点だったような気がする。あれから50年の歳月が経った現在、「市立小学校」の教壇に立っている私に、7歳から15歳当時の私は何て声をかけるだろうか。巡り巡って人生はだ・か・ら面白い。

 第9章「教育とネガティブ・ケイパビリティ」の一節、「学べば学ぶほど未知の世界が広がっていく。学習すればするほど、その道がどこまでも続いていることが分かる。あれが峠だと思って坂を登りつめても、またその後ろに、もう一つの高い山が見える。そこで登るのをやめてもいいのですが、見たからにはあの峰に辿り着いて見たい。それが人の心の常であり、学びの力でしょう。つまり、答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄でしょう。」(P192) 「学習と言えば、学校の課題、塾の課題をこなすことだと早合点してしまいがちです。世の中にはもっと他に学ぶべきものがあるのに、親はそれを子どもに伝えるのさえも忘れてしまいます。」(P192) 「問題設定が可能で、回答がすぐ出るような事柄は、人生ほんの一部でしょう。残りの大部分は、わけが分からないまま、興味や尊敬の念を抱いて、生涯かけて何かを摘み取るのです。それまでは耐え続けなければならないのです。」(P193) 正に共感する一節だ。ふと、レイチェル・カーソン(海洋生物学者)が著した『センス・オブ・ワンダーを探して』(大和書房 2011年)が脳裏に浮かんだ。「センス・オブ・ワンダー」は直訳すると、ワンダーする気持ち 自然の美しさ・精妙さに打たれる気持ちを大切にしよう!だ。子ども時代に育んだ、神秘さや不思議さに目を見張る感性がその人をずっと支え続ける。知ることは感じることの半分も重要では無く、“It is not half so important to know as to feel.”― Rachel Carson 子供時代は、その感じることの土壌を耕す時代である。神秘さや不思議さに目を見張る感性を育み分かち合うには子供時代が一番なのだろう。この章の最後は、スクールカウンセラーの臨床心理士から届いた手紙を紹介し、子供たちにも、問題解決能力(ポジティブ・ケイパビリティ)だけでなく、この「どうしても解決しないときにも持ちこたえていくことが出来る能力(ネガティブ・ケイパビリティ)を培ってやる」という視点も重要だと結んでいる。

 以上、とりとめもなく綴ったが、この本は、全体的に難解であったが、自分の半生と照らし合わせつつ共感できる章について紐解くと、なかなか読み応えがある著書だった。

小川文男

1・この本を読んでの感想・私見
  全章から成る程と思える記述が沢山ありましたが、特に第4章の「ネガティブ・ケイパビリティと医療」についてはいろいろと示唆に富んだ内容であった。医学教育で重視されるのは「ポジティブ・ケイパビリティ」で診療録の記録もSOAP「Sはsubjectで患者の主観的な言動や症状、OはObjectで検査で得た客観的なデータ、AはassesmentでSとOとの判断評価、PはPlanで解決のための計画、治療方針を言う」が当たり前となっているが、例えばターミナル医療では上記の考えでは対応できないことが多々あり、こういった場合、人間は誰も見ていないとところでは苦しみは耐えられないものであり、共感とホールディング(抱える)、(英国の小児科医ウイニコットの概念)今生じていることを手を加えずに持ちこたえることであり、またヒューマニティは医療のホルモンである(カナダの医師ウイリアム・オスラー)など含蓄のある言葉であり、また一人一人、顔や形が違うように個人差もあり千差万別であり傾向性はデータで把握できるが、マニアルやSOAPだけでは解決できないことが多くあるとの考えに、この近代科学の目覚ましい進歩でIPS細胞から殆どの細胞が出来る今日でも、人の心、精神の問題解決にはある意味で永遠のテーマであることにほっとした思いと同時に、実に人間は繊細で不思議な生き物であるのかをこの本を読んで改めて認識させられた。

2・ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)を発揮した結果、〜なった事例。
 私が現役時代に人事より2人預かってくれないかと言われ、1人は40代前半、もう1人は30代後半で、2人に共通しているのは同期の中でもトップクラスで学生時代から挫折を知らないで今迄過ごしてきていた。1人は課長、もう一人はマネジャーとなって間もなく心の病・精神疾患(躁鬱病と適応障害)を発症、1人は休職して少し出社してはまた休職という状態が続いていた。もう1人は休職までにはならないもの、出社はするもののパソコンの前でフリーズ状態、産業医や専門医に通院するも一考に改善は見られない状況が1年程続いた。私はこのような精神疾患を患った人との対処の仕方や知識が無かったので、はじめはどう対応して良いのか分からず、産業医に個別に相談していろいろ実行してみたもののどうもうまくいかず、奥さんとも面談して会社以外の行動などを聞いりした。また部員にはその状況を話し、情報などは全て共有するようにして仕事も期限のない資料調査などをやってもらうように長い目で対応するようにした。その間、症状が悪化して周りとトラブルになったりしたこともあったが、元々は優秀なので資料の出来栄えも良く、「いい資料だね、また頼むよ」といった調子で自然な形で接していくうちに次第に自信を取り戻し始めると、コミュニュケーションも円滑になり、負のスパイラルから徐々に元の状態近くまでに回復し、別の部門でまた活躍するようにまでになった。当時はネガティブ・ケイパビリティの言葉や概念さえもなく、今に思えば性急に結果を求めず、長いスパンで捉え、その立場になって共に考える信頼関係・共感が少しは良い影響をもたらしたのではないかと、この本を読んで改めて感じた次第である。最近、引き籠りや発達障害など心の問題を抱える大人が増えてきており、ネガティブ・ケイパビリティの共感・寛容のこころで対応・接していきたいものである。

次回、第11回 「ライフプロデュース」研究会 月例会
4月26日(金) 18:00〜21:00
場所:内幸町 日本プレスセンタービルディング 9F 日本記者クラブ ラウンジです。
テーマ:「地域に密着した活動で、後継者を育てる術」

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写真:旧大洗岬灯台(大洗灯柱・磯浜灯柱)のてっぺんで羽を休める一羽のカモメ (2019/03/13 撮影:中村昌子)
posted by ライフプロデュース研事務担当 at 09:42| Comment(0) | 日記

2019年02月24日

第9回 ライフプロデュース研究会 報告 (2019年2月22日開催)  報告者 小平陽一

皆様、こんにちは! 2月最後の日曜日、如何お過ごしですか?
2月22日、第9回 ライフプロデュース研究会 開催致しましたのでご報告いたします。
今回の報告者は、小平陽一さんです。小平さんは高校の化学の教師から、家庭科の教師に変身!したという珍しい経歴をお持ちですが、地元飯能市では、飯能市男女共同参画審議会会長や市民大学の講師を務めるなど、地域に根差した幅広い活動をなさっている団塊世代です。この記事の最後に、小平さんが連載発信している、『飯能近田舎通信』のpdfも添付いたします。

第9回 ライフプロデュース研究会 報告 (2019年2月22日開催)  報告者 小平陽一
参加者(7名)皆川、中村、若井、寺本、庄司、小川、小平
テーマ:人生の仕舞い(終(しま)い)方、仕上げ方

 まずは、提案者の皆川座長より趣旨説明。
(皆川)70代後半 人生の仕舞い方は、終焉前後をどう準備するかというとらえ方。ご自身は、エンディングノート、延命措置の是非などはもとより、死後の処置についても、亡くなった妻との思い出の地での散骨(主にスウェーデン織物作家だった奥様との思い出の地、デンマーク スウェーデンと新聞記者として転勤地の神戸)などを息子に託している。仕上げ方のほうは、生前、残された人生をどう過ごすか? 仕舞い方、仕上げ方、その線引きは曖昧だが、自分の終焉に向けて考えておきたい。

 これを受けて、残り6名それぞれがこのテーマに沿って、自身の今考えていることを述べ合った。総じて、皆川座長ほどは仕舞い方まで考えは及ばず、その前の段階の、今をどう生きるか? つまり仕上げ方のほうを考える事で精いっぱいというところ。

(中村)60代前半:30代で渡仏し帰国後、50代60代はT妃殿下の専属デザイナーとして活躍した叔母(生涯単身者)の孤独死、遺品整理を姉と共に体験し、死のあっけなさ、無常を知った。今は、半J半B(仕事と地域猫活動などのボランティア)そのどちらにもほぼ同じエネルギーを費やして日々忙しく過ごしている。人生仕上げのステージに差し掛かった現在、辛い体験を含め、これまで生きて来た道程(みちのり)全てに心から感謝できることが嬉しい。また、早期退職後約7年間の充電期間を経て、リアクション溢れる≪多世代協働型の現場≫で働けていることは、自分らしい人生仕上げのステージが正に始まったばかりと感じている。

(若井)60代後半:最後までどう生きるか? 今を生きる=シニア期の生き方(吉沢久子)に共感。お金、健康、趣味、友達作りを課題として、自分のやりたい事をやって死を迎えたい。人とのつき合い、お金、時間、心の断捨離。自分なりの距離をもって、付き合いたくない人とは無理に合わせないでやってゆきたい。
※ 翌日、若井さんが新聞を読んで肝に銘じた言葉 ≪マハトマ・ガンディーの名言≫↓
『明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ。』

(寺本):50代後半:家族の亡くなり方をたくさん見てきた。その人の死は、家族のそれぞれにメッセージを残してゆく。また、家業が不動産管理業なので、仕事上でもたくさんの人の亡くなり方に遭遇した。孤独死からは最小限の人付き合いは必要だと思った。また、死後、残されたものの骨肉の争いも見てきた。エンディングノートを準備して、揉めないようにするのが親の義務だと思う。今がハッピーという生き方をしてゆきたい。

(庄司):50代後半 仕舞い方はまだピンと来ない。今は、母87歳のことと、親の土地と家をどうするかが当面の課題。現在、頼まれた本を書いているが、自分の最後は、執筆している最中に死を迎えるのが理想だと思っている。

(小川)70代前半 漠然としか考えていない。が、相手のリアクションのある日本語教師のボランティアに、とても遣り甲斐を感じている一方で、その他、複数関わっていることには少し限界を感じ、軌道修正するタイミングでは?とも思っている。フレイルの観点から鑑みると医療や延命の問題...etcと課題は多い。今後はトータルでの充実があればいいと思っている。今は《自立と自律》ができることを目指している。自分がどれだけ人の心に残るのか?人の心に残る生き方をしたい。いろいろな人と関わり合いたい。

(小平)60代後半 市民大学の講師を依頼されたところで、当面の忙しさに追われている。他に、地域での活動や趣味活動にも忙しく、仕舞い支度、人生の仕上げ方にまで考えが及ばない。『百まで生きる覚悟』春日キスヨによると、今の高齢者はピンピン、ヨロヨロ、ドタリ、そして逝く、という。そのそれぞれが長い。準備はしておかなければとは思うものの、ヨロヨロ、ドタリ期のリアリティがなかなか持てないのが実情。仕上げに、もう一冊の本を書き残したい。

 それぞれにテーマに沿って思いを語ってもらった後はフリートーク。印象に残ったのはリタイア後の地域活動や学習活動、市民活動において、人間関係の波風がストレスになるという話だった。

第30号 飯能近田舎通信 (2).pdf

次回,第10回「ライフプロデュース」研究会 
:3月22日(金)18:00〜 日本記者クラブ9F談話室
テーマ:『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』
帚木蓬生(Hosei Hahakigi) 朝日新聞出版 を題材に読書会
帚木蓬生 ネガティヴ ケイパビリティ.JPG
posted by ライフプロデュース研事務担当 at 08:14| Comment(0) | 日記

2019年01月17日

第8回 「ライフプロデュース」研究会      報告者 若井泰樹

  
皆様、寒中お見舞い申し上げます。
平成最後の新年、如何お過ごしでしょうか?
遅ればせながら、元旦の初日の出と、1月6日午前10:00頃、
平成最後の「部分日食」の画像を共有させていただき、
元号が変わる、記念すべき新たな年の、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

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平成最後の初日の出 2019/01/01 中村の友人が船上より撮影。

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平成最後の部分日食 2019/01/06 中村昌子撮影

第8回 月例会を開催いたしましたので、ご報告致します。
今回の報告者は若井泰樹さんです。

1) 日 時:2019年1月11日(金)
2)場 所: 内幸町 日本プレスセンター内、日本記者クラブ9Fラウンジ
3) テーマ:「シニア期における新しい関係性作り、及びネットワーク作り」
4)参加者:7 名 三橋、若井、庄司、中村、小平、寺本、皆川(敬称略)
(80歳目前から50代まで、女子2名 男子5 名)

第8回 LP研 報告 (2019年1月11日開催)
テーマ 『シニア期における新しい関係性作り、及びネットワーク作り』
報告者 若井泰樹

まず最初に若井が口火を切って、定年の数年前より実践していった「定年後⇒シニア期の友人関係の構築」についての実体験を紹介。⇒やはり、「定年前に付き合いのあった会社関係の人たちとも、退職後は徐々に疎遠になっていく」のは世の常であり、定年前のできるだけ早い時期より「会社以外のコミュニティ」に勇気を出して積極的に参加すること、そこで友人を一人でも多く作っていくことが大切と気付き、心掛け実践していった。
若井の体験例では、地元の町内会役員、小中学校の同窓会・同期会の幹事、高校部活OB会役員等々を引き受け、さらにそこを起点として俳句会、歴史勉強会、カラオケ・ゴルフ会等にも所属して友人のネットワークを広げ、その後も生涯学習として立教セカンドステージ大学へ通学し、修了後も同窓会役員や3つの研究会に参加し、おかげで定年後も友人関係に恵まれたシニア期を過ごすことが出来ている。

次いで寺本さんから、シニア期においては、「特に自分のキャラクターを受け入れてくれる人とお付き合いしていきたい」、また「じっくりと心をくだいて接することができ、かつ男女を問わず尊敬できる人とお付き合いをしたい!」と話され、さらに相手から「会いたい」と言ってくださる人は大切にしていきたいと語られた。

三橋さんは、今は「自分の居場所」を真っ先に考えたい⇒確保したいと話され、それこそが「自然に仲間作り、ネットワーク作りにつながるのでは?」と話された。また退職後は立教SS大⇒某大学院へと進学され、現在は特に「哲学」に興味を抱き学ばれておられるとのこと。(ご本人は、元々は技術者)さらに、最近はテレビ出演も相次いでおられ、その反響で昔の友人、知人から続々と連絡が舞い込んでいるとのこと。

小平さんは、今は何事にも「コミットすること」⇒「自分が果たすべき役割」を大事にしていきたいと。定年後、「介護食3級」の資格取得をはじめ、「織物講座」に参加したり、立教SS大⇒同大学院へ進んでネットワークを広げており、趣味でヨガとかシャンソンのサークルへも参加、また教員時代の教え子たちとの交流を復活させ、現在では300坪の畑で野菜作り(⇒子ども食堂へ支援)にも励んでおられるとのこと。

庄司さんは、現在は立教SS大で出会った友人たちとの交流、さらに「ふくしま復興支援」を続けている仲間及び現地の人々とのお付き合いがメインになっていると。ふくしまの支援は5年以上続いているが、それは「一度も辛いと思ったことがない」ことが長く続けられる要因になっているとのこと。また一方で、「チームワーク」は大切だが、群れる」ことは嫌いと述べられ、これはシニア期においてむしろ必要な要素では?とも話されている。

中村さんは、性別に関わらず、関係性が牽制し合うようになったり、相手の裏表が見え隠れするようになったら、その友人との良好な関係の継続は難しいのではないか?その場合は、距離感保ち、自然にフェードアウトし、別の健全な関係性に力を注ぐことが大切ー、また、出身校の同窓会や会社の元同僚など同質性をベースにしたコミュニティでは、会う度に思い出話に花を咲かせることを繰り返すのではなく、「現在(いま)の自分」が相互に影響し合い新たなシナジー効果を生み出せるような関係性の構築が理想的だなぁーと話された。また、私たち世代の良好な関係性創りには、会社勤め時代の、所謂、❝派閥づくり❞やそれに伴う❝根回し❞はご法度!とも強調された。彼女の小学校の職場では、20代の若い教員たちから、児童教育の現場のノウハウを実践で具体的に教えてもらっていて、60代である自分のコーチが20代30代って、とても若返った気分で最高!!ーっ!と「実践!多世代協働」の職場の渦中にいる❝ワクワク感溢れる❞心境を語った。

皆川さんは、「まずは地域に出ていくことが大事」と力説され、さらにそこに「ふるさと」を感じ愛着を持つよう心がけておられるとのこと。原発事故以来、地元中央区に被災されて避難されておられる方々の支援活動を最優先で取り組んでおられるとのこと。ご本人自ら『避難されている方々を支援するシニアの会』を立ち上げ、地元の「もんじゃ焼き」のお店へその方々をご招待され、『もんじゃサロン』と称するその活動は7年目(40数回)を迎えておられる。また皆川さんは、支援活動を通じて、被災者の皆さんに「中央区を第二のふるさと」と思っていただけるよう、今後も尽力されていかれると話された。そして、「高齢者も世の中の役に立つんだ!」ということを証明していきたいと力説された。また地元の人たちとも手を組んでいきたいとも。最後に、『シニアになるほど、地域に出てコミットすることが重要』と述べられた。

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日本記者クラブ9Fラウンジ&レストランのスタッフの皆様のホスピタリティは素晴らしく、お食事も美味しいです。今年もどうぞよろしくお願いします。皆川座長、いつも予約ありがとうございます!
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〜編集後記〜
若井さんの報告の纏めを拝見し、ふと、「方丈記」で鴨長明が説く無常の世界が脳裏に浮かびました。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。』
「シニア期における新しい関係性作り、及びネットワーク作り」は、若いころの期待に満ち溢れた、少し力の入った関係性の構築ではなく、むしろ、世の中も人の心も「無常」で、「所詮、人は孤独、他との関係性も永遠ではないという自覚」から始まるからこそ、むしろ失敗を恐れずに「結んだり、開いたり」、「消えかけても、また結んで」自分以外の他との関係性を自由に愉しめるのではないだろうか.....先ずは、樋口恵子さんの名言、「出掛ける! 出逢う! 何かできる!身近なところで、微・助っ人!」ー、身近な愛着のある地域で、自分の居場所やミッションを見つけることがお勧めであると私は感じておりますが、皆さんはどう思われますか?



posted by ライフプロデュース研事務担当 at 23:42| Comment(0) | 日記