2020年02月12日

第18回「ライフプロデュース」研究会 開催致しました。

 第18回「ライフプロデュース」研究会開催致しました。

1) 日 時:2020年1月29日 (水)18:00〜20:00
2) 場 所:内幸町 日本プレスセンター内日本記者クラブ9階ラウンジ
3) テーマ:
    @ 人生100年時代の暮らしのライフプロデュース「私が考える『自立』について」
    A 「今年のテーマを漢字(7文字まで)、あるいは川柳などで表現、発表下さい」

〇参加者 計7名〇
ボランティア運営の達人:柴さん (80代前半)
プレ団塊世代:靭(ジン)さん(70代後半)
ゆる〜く家庭菜園:陽介さん(70代前半)
リタイア断捨離の達人:正岡さん(60代前半)
元営業マン:井戸田さん(60代後半)
公立小学校外国語指導員 Hanaさん(60代前半)
編集者 Mayumiさん(50代前半)

以下、編集はMayumi & Hana


【 生活の自立とボランティア活動 】
ボランティア運営達人・柴さん(80代):ここ15年ぐらい、全国組織の会員制高齢者相互ボランティア団体で仕切り役をやっています。昔はね、こちらが「困っている方を助けますよ」と声をかけても、手を挙げる人はほとんどいなかったんですよ。特に昔からの住民が多い地域ではこれが顕著だった。ところが、2011年の東日本大震災のあとぐらいから様子がちょっと変わってきて、助けて!」と声が上がるようになってきた。大体が片付けの依頼で、「家の中に物があふれて足の踏み場もない、片付けてくれないか」「物だらけだけど自分では捨てられない、代わりにやって欲しい」「ゴミ出しに行けないから頼みたい」。。。現場に行ってみると、本当に人一人がようやく通れる隙間しかないぐらい、部屋中が物でいっぱいのケースが多くて。助けを求めてくれるのは嬉しいことですが、本当はもっと早い段階で支援できていたらよかったなあと、つくづく思いましたね。こうした流れを受けて、2015年頃から我々の組織でも “自立支援” をボランティア活動として打ち出すようになりました。
日本には助けを求めるのを恥とする文化がありますが、それで結局どうしようもない状態になるよりは、むしろ最初から「私は○○までは自分で出来るけど、○○はやって欲しい」と表明し合えるような社会にしていかないといけない、そう思うんです。我々みたいな組織がその辺のコーディネート役を担わなくちゃいけないなと、真剣に考えてるところです。

編集者・Mayumiさん(50代):2020年現在も、その流れは続いているのですか。

ボランティア運営達人・柴さん(80代):ええ、ニーズはむしろ拡がってます。2020年春からは、会員以外の方も支援を受けられるよう、有償ボランティア制度を始めるところです。これまで我々の組織は、会員それぞれが実施したボランティア活動を点数に換算して貯め、次に依頼するときは貯めた保有点数を使う方法をとってきたのですが、 これだと活動実績のない新規会員はすぐにはボランティア依頼ができないことになります。でも、会員になってすぐに頼みたい人もいる。ここを解決するため、新規会員にまず金銭寄付してもらう仕組みを作りました。その寄付を原資として、業務ごとの有償ボランティア価格を200~1000円/時間の範囲で決め、謝礼として支払うことにしたのです。最近では、丸一日デパートの買い物に付き添って1000円/時間という有償ボランティアもあってね。依頼者にとても喜んでもらった上、「また是非お願いしたい」との声も貰ったりしています。

元営業マン:井戸田さん(60代):それは良いですね。でも、世の人の感覚が急に変わり過ぎてる感じもします。2000年に介護保険ができてから、介護は家族でなく社会が面倒を見ることになって、これはもう社会の必然の流れだったとは思うんだけれど、でもね、今度は家族のほうが社会に依存しちゃってる。極端に依存してる。もう少し、家族も高齢者の面倒をみることに関わったほうが良いと思うんですよ。

ボランティア運営達人・柴さん(80代):まあ、当面は社会で、つまり有償ボランティアでやりくりするのが現実的なんだろうと思いますよ。これから高齢者がどんどん増えていく訳ですから。「人生、結局は誰かのお世話にならなくちゃいけない」という認識で、お互い様の心持ちでね。ただ、今の60〜70代ぐらいの皆さんはボランティアとかお互い様の感覚が我々80代よりも薄いような気がして。私はむしろその点を大いに危惧していて、まずは価値観を共有するところから始めたいと思っています。

ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(60代):有償ボランティアは良いとは思うのですが、課題だなと思うのは、依頼者側もスタッフ側も過度に期待を抱くようになること。「お金もらってんだから遅刻するな!」「お金もらってんだからもっとちゃんとやれ!」と。で、結局は活動自体がダメになっちゃうケースが結構ありますよね。

公立小学校 外国語活動指導員・Hanaさん(60代):有償ボランティアって難しいよね。同じ業務でも人によって謝礼額が違ったりして、そうすると、どうしてもギクシャクしちゃう。そこをクリアするには、役に立ってる感とか感謝の気持ちとか、そういう金額以外のところでお互いに納得することが大事なんだろうなと思う。

ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(60代):うん、あとね、今の50〜60代は時間とかお金とか色々ギリギリで余裕がなくなってるのを見ててすごく感じます。だから、ボランティア活動にもなかなか入り込めないんじゃないかな。

【 哲学的に自立を考える 】
元営業マン・井戸田さん(60代):そもそも「自立」ってなんだろう?分かっているつもりでも、意味が広範囲なこともあって意外と即答できないことに気付いて、まずは辞書で引いてみました。すると「他への従属から離れ、他からの支配や助力を受けずに存在すること」とありました。他に、何かの本で目にした表現で「自己実現力があり、やりたいことを見つけて自分でどんどんやっていくこと、自分の人生を自分で展開していくこと」というのも印象に残っています。これで大まかに「自立」を把握できました。

次に、把握した「自立」を踏まえて自分の人生約70年を振り返ってみました。
@誕生から青年期(学生期)
何をするにも親や先生の影響を強く受けた時期です。経済的にもまだ自立していません。
A職業期(家住期)
社会人になってから60歳定年までの時期で、経済的に自立して家庭も持って一見自立していたように見えますが、会社勤めゆえに会社のルールや上司の指示などに従わざるを得なかった。なので、本当の意味で自立していたとは言えません。
B定年後(林住期)
定年退職してから74歳までの時期で、極めて自立しており、またそれが出来る時期です。
Cその後(遊行期)
75歳以降、健康寿命を過ぎて、人により違いはありますが段々と社会保障のお世話になるような時期です。

実は、上記( )内はヒンズー教の「四行期」という考え方に基づいた呼び方だそうです。この4つの中でいうと、私は70代の今、すなわち「林住期」が一番輝かしい充実した時期であると感じています。作家の五木寛之氏も、著書『林住期』の中で定年後ぐらいから70代に当たるこの時期について次のように書いています。「歳を重ねるごとに、孤独に強くなり、孤独のすばらしさを知ることになる。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半期のもっとも充実した生き方の一つなのだ」と。さらには「老年期の一番の悩みは、生きる力が萎えることである。そこで大切なことは、シフトダウンして生きること」とも。そして、スピードを落としてむしろ精神の活動を高めていくことを提唱しています。これには私も大いに共感しますね。よかったら、皆さんもぜひ一度読んでみてください。昔は鳥とか木と共生してる感じがあってひとりぼっちと感じなかっただとか、今は自然から離れた都会生活で人間関係にばかり目が向いて疲弊してしまってるとか、そのような興味深いことがたくさん書かれていますよ。

編集者・Mayumiさん(50代):面白そうな本ですね。
Hanaさん(60代):『林住期』、いいですね。

井戸田さん(60代)元営業マン:もうひとつ、おもしろい話があります。定年を迎える前、先輩からこんな話をされました。「定年退職した次の日から、まるで自分が透明人間になったような感覚になる。仕事関係のメールとか電話が一切来なくなって、外を歩いてても誰からも声をかけられないし、関心も持たれないんだ。だからね、・・・自分の好きなことを好きなだけやれるっていうことだよ!こんな時期って過去に一度もなかっただろう?一日一日をうんと大事にしないと、もったいないぞ」って。これ、本当に自立したシニアの生き方の核心をついてると思いませんか?

ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(70代):うん、「老いを受け入れる」という、その前向きな姿勢がすごく良いと思います。今度、講演会で話をするんですが、テーマが「ナイス・エイジング」でして。もう一つおまけに「加齢を華麗に」っていうね、良いでしょ?

【人を頼り、自分らしく生きる】
リタイア断捨離の達人・正岡さん(60代):井戸田さん、辞書を調べるところから始めたんですね。私も言葉の定義から入りました。広辞苑で「自立」を調べると「他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること」と書いてある。また、親が子どもに「早く自立しなさい」と言うときは大抵、経済的な自立を指します。しかし、どうもちょっと違うのではないかと思うのです。

つい先日、80代の知人が急逝しまして、生活面からみると自立にはほど遠い人だったのですが、言動を振り返れば全く自立した人生を全うした人物だったという気がしてくるのです。一人暮らしになってからの彼は、食事はいつも外食だったし、自らの下着のサイズさえ知らなかったほどで、いわゆる生活技術はなかった。しかし、一方で自分の思ったことを行動に移すことには大変に長けていて、それはもう見事でした。リタイア後に再び大学に入って人脈を広げたり、読書会など興味ある集いに参加しては知的研鑽を積んだり、大学院に入学して論文執筆に情熱を燃やしたり。とにかく行動力がずば抜けていて、そうした面ではものすごく自立した人だった。彼の生き様を一つひとつ思い起こせば、「自立とは、体力が続く限り、大いに周りの人に頼りながら自己実現に向けて自分らしく生きること」ではないかと思うのです。

ボランティア運営達人・柴さん:「大いに周りの人に頼りながら」というのは、正に私が申し上げたことと合致しますね。いや、本当に大事なことです。

ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(60代):人を頼ることができるのも、自立の大切な要素のひとつだと思いますよ。

【 自立してこそ助け合える 】
ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(60代):私は、若い頃に家庭科の重要性を痛感し、化学の教師から家庭科教師になった身です。その経緯もあって、特に生活の「自立」はテーマとしてずっと追い続けてきました。リタイアして現場を離れた今も、シニアの生活の「自立」が研究テーマの一つになっています。
なんとかしなければと思うのは、シニア男性の生活の自立です。日本の高度成長を担ってきた団塊世代らが企業戦士の役割を退いてシニア期を送っているのが現代です。人生100年時代とも言われる長寿時代を迎え、シニア期の様相は以前とだいぶ変わりました。高齢期と呼ばれる期間は大幅に長期化しましたし、夫婦二人または一人暮らしの高齢者世帯がぐんと増えるなど、形態も変化しました。変化に伴って、シニア期以降をどう生きていくのかが問われ始めたんですね。
その答えとしては、現役時代のような性別役割分業では立ち行かなくなった現状と、それに至る時代の変化を、シニア自身が見極めるべきと考えます。いわば社会システムの変更をシニア一人ひとりがちゃんと理解しなくちゃならない。それには、どうしても「個」の自立が必須となります。

実は、私が考える「自立」は「共生」とセットになっています。その二つの仲立ちをするのが「関係性をつくる」です。つまり、「自立」あっての助け合いであり、「共生」という関係性があってこそ、助け合いが成立するものとと考えます。関係性を作る力や助けを求める力も「自立」に含まれると考えて良いでしょう。

ボランティア運営達人・柴さん(80代):自立と共生がセットっていうのは、すごく大事なことで、共感しますね。自立っていうと言葉のイメージから自分ごとと捉えられがちだけど、結局目指すところは共生のためだと思うんですよ。みんながそう考えるようになれば、ゆくゆくは社会も変わってくると思います。

ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(60代):とはいえ、現役をリタイアした途端に「自立」「自立」と言われても、それまでの生活習慣や意識をおいそれと変更できるものではありません。だからと言って、今のままで良いという訳でもない。・・・難しいことですが、やっぱり努力して自らの意識改革を進めなくちゃなりません。身近なことから始めると良いと思うんですよ、たとえば夫婦関係では改めて関係を築き直すとか、いずれどちらかが他界して一人暮らしになることを前提に準備をするとか、男性が女性に素直に生活技術の教えを請うとか。そうして何かしらのアクションを実際に起こすことが求められているように思います。

まあ、簡単に言えば、生活を誰かに丸投げせず、自分でできることはできるだけやるようにするということです。どうしても出来ないことは誰かの助けをお願いしたり、公的サービスや民間サービスを利用するなどすれば良い。自分が生活の主人公である自覚を持ちながら今を大切に生きれば、それで良いのではないか、そう思う次第です。

公立小学校 外国語活動指導員・Hanaさん(60代):”助けをお願いできる力” "サービスを利用する力" は、先ほどの ”人を頼る力" のことですね。「自立」って、自分一人で完結することではない。それが良くわかるお話です。
ただ、亡くなった状況を見て、その事象から『孤独死』と捉えるのは如何なものでしょうか。ひょっとすると、他者から見たら孤独死でも、本人にとっては、それなりに充実した人生だったかもしれない。私は、数年前、生涯単身者だった叔母の遺品整理を長姉としてそれを実感しました。この話の詳細は、また次の機会で。

ゆる〜く家庭菜園・陽介さん(60代):家庭科では、自立は「経済的自立、生活の自立、精神的自立、社会的自立、性的自立」と表現されています。かつて、教えてる生徒の中に筋ジストロフィーに罹っている生徒がいて、彼に自立の概念をどう教えたら良いのか、ものすごく迷った時期があった。考え抜いて、最終的に「自分で自分のことを決められることが自立」と伝えました。当人の状況によって「自立」のあり方が変わってくることも、忘れないようにしたいですね。

【自己と社会の境を決める】
編集者・Mayumiさん(50代):私にとっての自立は、自己と社会との境目を決めることかな。陽介さんの “自立あってこその助け合い” というのと重なるのですが、自立なきままに仲良く助け合おうとしても、相手を自己と同一視してしまって、その場にいる人すべてと同じ考えや価値観でないと気が済まなくなると思うんです。世の中のトラブルは、大体がそうやって “自立なきまま仲良くなろう” とした末に起こっているものではないでしょうか。逆に、それぞれが自立を果たしてさえいれば、すなわち自己と社会との境目をしっかり捉えていれば、相手の考えや価値観が自己と同じでも違っていても尊重することができて、結果として何のトラブルも起こり得ない。すなわち共生も自然に実現できると思うのです。

元営業マン・井戸田さん(60代):お子さんたちの自立については、何か配慮していることはありますか。

編集者・Mayumiさん(50代):そうですね、、、「成人するか学生生活を終えたら、状況に関わらず自力で食べていくんだよ」とは伝えていますね。私が若い頃に両親からそのように伝えられ、そのようにやってきました。やはり線引きをしないと自立は難しくなる。経済的な自立がすべてではないけれど、自然界では親鳥からもらっていた餌をある時から自分で捕まえに行くように、人間もやはり先にこの世から去っていく親のもとを何かで線引きして離れなくちゃいけないと思うんですよ。出来ないなら出来ないなりに自力で解決方法を探したり、声を出して助けを求めたりしていく力が必要だと思うので。

それとは逆に、子育ての初期には出来るだけたくさんの人が関わってくれるほうが良いなとは思いますね。かつて子育てサロンを運営していた際に、地域のいろんな世代の方々に「どうぞ遊びに来てくださいね」と声をかけたら、シニアの方の中には「ああ、私たちはもう子育て終わったからね」という声もあって。実は子育てサロンで必要としたのは、他世代の存在なんです。同質の親たちだけで狭くなりがちな世界を、広げてくれたり、親子の感情の浮き沈みを余裕を持って受け止めてくれたり、そんな存在が欲しかったのですよ。

公立小学校 外国語活動指導員・Hanaさん(60代):
Mayumiさんの、「成人するか学生生活を終えたら、状況に関わらず自力で食べていくんだよ」は良いですねぇ〜。私も亡き母に、「大学を出るまでは、お前の365日×4年間の真っ白なキャンバスはお前仕様で好きなように描きなさい。私たちは親として出来る限りサポートをする。でも、卒業と同時にビタ一文出さないから、社会人として経済的にも自立するんだよ。」と、そう叩き込まれましたよ、経済的な自立の大切さ―。この教育は大切です。
さて、私にとって、自立とはー。これまでの人生で得た明解なものがあります。どんなに大切な家族や友人たちが存在したとしても、究極のところ「自分の魂を救い出せるのは自分自身」だと思うんですよね。人はこの諦念にも似た境地に辿り着かないと、本当の意味での『自立』には到達しないと思う。『人は孤独なものなのだ。』と悟ると、不必要に群れなくなるし、現在の本当に大切な人たちとの人間関係に感謝できるようになるし、周りを尊重できるようになる。先ほど、井戸田さんから『林住期』の一節、「歳を重ねるごとに、孤独に強くなり、孤独のすばらしさを知ることになる。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半期のもっとも充実した生き方の一つなのだ」とご紹介がありましたが、共感しますね.....。だから、周りから『孤独死』と言われても、本当にその人が孤独だったとは限らないと思います。
ところで、今の若い方たちの傾向として、一部、若い人は若い人で自分たちのユートピア(理想郷)を創りたい!それには他の世代のサポートは特に必要ない、寧ろ、自分たちの情熱と未来観で進んでいきたいという願望があるように見受けられるんですよねぇ。それはそれで生きてきた時代的背景が全然、違うんだから当然だと思う。私たちも上の世代を煙ったいと感じた経験もしてきたしね。そういう場合、世代を超えて無理に関わろうとしても限界がある。お互いに無理は禁物ですからね。だから、むしろ、小学校の職場の様に、システム的に、公的に否が応でも多世代が、上司と部下の関係ではなく、フラットな立場で交じり合わなきゃならない職場だと、互いの年齢や世代をそれほど意識し合うことなく、コミュニケーションできる。なぜなら、互いに「仕事」であり、「子どもたちの教育」という共通の崇高なミッションが介在するから。シニア世代は、経験値で自分が役立っている実感で、満足感が得られる。かつてのように全力投球で仕事をする必要もないので、精神的に余裕があり、QOL度も高くなる。そういう職場やコミュニテイがどんどん増えていくといい。それが、老いても精神的且つ経済的な自立に繋がっていく。

Mayumiさん(50代):ユートピアを作りたいというのは、それはそれで健全というか、すごいエネルギーですね。・・・同じ空間に居れば世代間の対立は少なからず生じると思いますが、それを差し引いて余りあるもの、多様性みたいなものを、子どもたちが体感できて、将来的に財産になるというか、強い社会になると思うんですよね。

Hanaさん(60代):そのとおりだと思います。多世代の存在=多様性だよね!シニア世代の経験値はもっともっと活用したほうが良いと思う。両世代が互いにもっと頼り合って、尊重しあって、気がついたら、職場のムードがとても良い雰囲気になっていたというのが理想的だなぁ。

ボランティア運営達人・柴さん(80代):うん、シニア世代も自分のことだけじゃなくて共生することを考えなきゃダメなんですよ。自立と言ってもそれは自分が自分がっていうのとは違う。自分を出すところは出す、抑えるところは抑えて。

元営業マン・井戸田さん(60代):いやー、私、今まで若い人のコミュニティに入るのは遠慮してたんですけどね、今のお話を聞いて、もっとぐいぐい入っていこうかなと思いましたよ。うん、やってみよう。

【置かれた環境のなかでやっていく】
プレ団塊世代・靭(ジン)さん(70代):私はね、どんな境遇にあっても、負けずにやっていくこと、置かれた環境の中でなんとか生きていくこと、それが自立だと思っています。私の幼少期は、まだ私が物心つく前に母親が家を出てしまい、父親は結核で遠方へ入院という、何とも心許ない境遇にありました。父の見舞いに行こうにも、当時は結核は敬遠された感染症でしたから、近所の目から隠れるようにして入院先へ向かう有り様でした。それでもなんとか腐らず曲がらず成長期を過ごし、新聞記者の道へ進むことができたのは、面倒をみてくれた親戚の人々や症状回復した父が、実に優しく接してくれたから。その支えがしっかりあったから。色々渦巻く環状はあっても、周りが支えてくれた。だから、支えてくれる人を大切にして、置かれた環境でやっていくこと、それが自立だと私は捉えています。

参加者一同:靭さんの穏やかな口調で、ゆっくりとご自身の半生を振り返る姿に、頷きながら沈黙.....。

以上が、今回の参加者の対話ですが、ブログ公開後、参加できなかったメンバーの一人、臨床心理士の大岡さんより、メールをいただきました。

臨床心理士 大岡さん(60代):2月8日朝日新聞の「折々のことば」を読んで印象に残りましたのでご紹介します。

「誰かに依存していることを忘れるほど依存できている状態が自立である」 人が自らの足で立てるのは、「ところどころに見えないほどに小さな椅子がちゃんと用意されて」いるからだと、臨床心理士は言う。誰もが日々誰かの見えないほど小さなケアに支えられている。 「自立」とは誰にも依存しないことではなく、支え合いのネットワークをいつでも使える用意ができていること。(注:此処での臨床心理士=第19回大佛次郎論壇賞受賞作 「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」の著者 東畑開人氏)

「依存」という言葉は、一般的に「独立」に相反する否定的な意味合いが感じられる言葉ですが、実は、人はみな誰もが日々誰かの見えないほど小さなケアに支えられているという言葉に、共感できました。

Hanaさん:「支え合いのネットワークをいつでも使える用意ができていること」この表現、良いですね。

【編集後記】
今回は、前半は、1月15日に急逝された、Mさん(享年80歳)を偲び思い出話に花が咲きました。向学心に溢れ、亡くなるまで、都内大学院後期課程で哲学を学び、最期まで自分らしく生き抜かれたMさん、奥様を亡くされてから独り暮らしの自分の不器用さを嘆きながらも、彼らしく、生き抜かれた人生―。私たちは、多くのことを学ばせていただきました。身近なご友人であったメンバーのお一人は、その生き様から「自立」とは、「体力が続く限り、大いに周りの人に頼りながら自己実現へ向けて自分らしく生きること」と話されておられました。Mさんは、しかめっ面も笑顔も両方似合うダンディな方でした。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
(写真は、一昨年夏、研究会メンバーともんじゃ焼きを楽しむMさん 左手前)

会の後半では、「令和2年 今年のテーマ」も披露し合いました。「切に生きる」「更なる探求心」「矩(ノリ)を越えず」「丁寧に紡ぐ」「言わずともビール出る店 もう一軒」「順当に ひとも桜も 咲いて散る」―等。硬軟織り交ぜた言葉に、並々ならぬ静かな決意やユーモアも感じられました。

次回、第19回「ライフプロデュース」研究会のお知らせ
◇日時:2月26日(水曜日) 18:00〜20:30頃まで
◇場所 内幸町 日本プレスセンター内 日本記者クラブ9階ラウンジ
◇テーマは 「役割の喪失か? 役割からの解放か?」

【お知らせ】新型コロナウィルスについて、WHO=世界保健機関による「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」宣言および日本政府が当該感染症を「指定感染症」とする政令を示しましたことを受けまして、安全を最優先に考慮し、2月26日開催予定の、第19回「ライフプロデュース」を中止させていただきます。想定を上回る緊急事態に苦渋の決断をせざるを得ない状況となり、参加予定の皆様、並びにこのブログの更新を楽しみにされておられる皆様には、深くお詫び申し上げます。
開催予定は、この事態が収束し、危機管理の観点から、安全が確保できるまで自粛する方針でございます。改めてご了承のほど宜しくお願いいたします。
シニア社会学会「ライフプロデュース」研究会


以上


もんじゃ焼きを楽しむ三橋さん.jpg
三橋さんの献花.JPG

posted by ライフプロデュース研事務担当 at 00:10| Comment(0) | ブログ