さて、「ライフプロデュース」研究会メンバーの近況レポート9人目は、LP研の、応援団団長!元食品会社営業マン、井戸田さん(60代)。井戸田さんはいつもハートフルな彼らしいスタイルで、研究会の雰囲気をを盛り上げてくれます。また、地域のコミュニティ活動としては、戦前から脈々と伝統を受け継がれて来た、東京下町深川の町内会の役員を,長年,務めてこられました。以前、夏祭りの神輿担いで町内を仲間と練り歩くお姿を写真で拝見したことがありますが、いなせなチャキチャキの江戸っ子そのものです。また、彼のバリトンボイスで昭和歌謡を歌わせたら、そんじょそこらのカラオケ名手とはレベルがちょっと違います。まぁ、そんな愛すべき、井戸田さんのキャラクターの源泉は、ここにあり。とそう感じていつのまにか涙してしまいそうな、御年97歳の母上との生活の一コマー以下、井戸田さんから届いた近況です。
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元営業マン 井戸田
数百年に一度ともいわれる大規模なパンデミックが現実に起こり、私も一時は(それも結構長い間)得も言われぬ「不安と恐怖」を抱く事態に陥りました。そんな中で多くのメンバーの方々も述べておられるように、私も自分にとって「本当に大事なこととは何か?」とか「本当に大切な人(たち)とは?」とかについて、あらためてじっくり思いをめぐらすようになりました。ただ、それらをすべてご紹介しようとすると多分数十ページに及びそうですので(笑)、特にここでは「大切な人」に絞って述べさせていただきます。
自分にとって「大切な人」とは、やはり「我が家族」ということになりますが、まあ一番肝心の「妻」については、ご紹介していくうちに「犬も食わぬ?おのろけ話」に発展しそうですので、今回は特に「我が母」について少しお話させて頂きます。とかく若い頃は「母」について何か語ると、すぐに「マザコン?」とかレッテルを貼られそうでしたが、古希間近の身には心配無用ですので忌憚なく述べたいと思います。
私の母は、大正12年6月に東京神田に生まれ、その年9月に(乳呑み児ながら)「関東大震災」を経験し、その復興の中で幼少期を過ごしました。その後(勉強好きだった母が)楽しみにしていた高等女学校へ進学するも、当時の日本は先の戦争へ突き進んでおり、ろくに学校へは通えず、軍事工場へ勤労動員させられる日々が続いたそうです。ようやく終戦を迎えるも、住んでいた周辺は一面焼け野原で、食べるものもろくになく、大事に疎開させておいた大切な着物類も、知り合いの農家を訪ねては(泣く泣く)「野菜」などと交換してもらうという、ほんとうに辛く悲惨な体験をいやというほど味わったそうです。私が青少年期に、たまに母に「わがままや贅沢なこと」をぶつけると「私なんか青春時代の楽しい思い出など、何一つ無かったわ!」と悲しげな目で一喝され、あっけなく“撃沈”しておりました。
現在二世帯同居している母は97歳を迎え、今年の認定で要介護度もさらに重くなり、まさに満身創痍、長年患っている関節リウマチの痛みも、限界まで処方されている鎮痛剤もほとんど効かないありさまです。さらに今年はコロナ禍の影響で、週3回楽しみに通っていたデイサービス(ケア)も4月から「通所自粛要請」等があり、この3か月あまり一歩も外へ出られない「完全ロックダウン生活」を強いられました。
そんな母が、今年の「母の日」に(“諸般の事情”?でスーパーで買って来た)好物の「お寿司」を美味しそうにほおばりながら、「今は食べるものもいっぱいあるし、毎日テレビだって観られるし、戦争中のことを思えばまだまだ恵まれている方だよ」と笑みを浮かべながら語ったのです。私はその一言を聞いて、それまで溜まっていたちっぽけなフラストレーションなど何処かへふっ飛んでしまいました!
大正、昭和、平成、令和とまさに「激動の時代」を懸命に生き抜き、若い頃は楽しいことなど何一つ無かったはずなのに、年老いては満身創痍で毎日必死に痛みをこらえながら生きているはずなのに、家族の前ではほとんど愚痴もこぼさず、不本意ながらの「母の日のごちそう」にも文句ひとつ言わず、笑顔で美味しそうに食べてくれる母の姿に、かつその「強靭なメンタリティー」に、ただひたすらわが身の修行の至らなさを恥じるばかりでした。そして来年の「母の日」には、ちゃんとお店に連れて行って、大好物の「お寿司」をお腹いっぱい食べてもらえるような、平穏な世の中に戻ってほしいと切に願うばかりです。
ただ一方で、今我々に待ったなしで突き付けられているテーマは、もう「元の社会のあり方とか、元の生活の仕方」へそのまま戻るのではなく、ウィズ・コロナの「新常態」(ニューノーマル)への意識改革とか行動様式(生活様式)の変化とかを否応なく求められているということも、また現実であると受け止めております。この数か月に及ぶ「自粛期間」において、我々はいろいろなことを思ったり考えたりしたと思います。そこで、それらを今後この「ライフプロデュース研究会」において、様々な角度から議論し合い(メール、オンライン等⇒手段も柔軟に新常態!)、まさに『シニアにとってのニューノーマルとは?』とかについて、皆さんと共に模索していけたらいいなと思っておりますし、あらためて「心強いお仲間」だと感じております。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。
以 上
添付されてきた2枚の写真には、メッセージが添えられていました。
『きれいな花を観賞することが好きだった母も、最近は旅行や散歩もままならず、せめて自宅の小さな庭で「四季の移ろい」を少しでも感じてもらえればと思い、定年後、見よう見まねで始めた「ガーデニング」に励んでおります。今年のあじさいはきれいに咲きました。 井戸田 』
『きれいな花を観賞することが好きだった母も、最近は旅行や散歩もままならず、せめて自宅の小さな庭で「四季の移ろい」を少しでも感じてもらえればと思い、定年後、見よう見まねで始めた「ガーデニング」に励んでおります。今年のあじさいはきれいに咲きました。 井戸田 』
✻*˸*˸*⋆。˖✻*˸*˸*⋆。編集後記 ✻*˸*˸*⋆。˖✻*˸*˸*⋆。by Hana
井戸田さんはお母さまの半生について、<大正、昭和、平成、令和とまさに「激動の時代」を懸命に生き抜き、若い頃は楽しいことなど何一つ無かったはずなのに.....>と書かれておられますが、今、二世帯住宅で日々温かく見守り、フラストレーションを少し感じつつも、お母さまとの日常で感じられておられる悲喜こもごもを、こうして愛情深く綴られるご長男の存在こそが、僭越な言い方ではありますが、井戸田さんの母上の激動の人生の最高傑作のような気がする次第です。
〜 to be continued〜