今日は2021年 2月21日 語呂合わせが良い日ですね!
研究会メンバーのジェシカさん(60歳)が、還暦を迎えられたことを機に、「女60歳還暦を迎えて 言いたい放題 やりたい放題」と題して、エッセイの連載を始められることとなりました。
ご自身のブログを開設するのは、決心がつかないけど、既に、メンバーである「ライフプロデュース」研究会ブログだったら、「安心して、人生一区切りつけるために、本音を語れるかなぁ〜」とのことです。
嬉しいですね!こういうご利用の仕方。
「ライフプロデュース」研究会は、会員の皆さまと「シニア社会学会」との<架け橋>になることも、大切な役割と考えております。安心して、どんどん、本音を語っていただきたいです。(以下、ご本人の文章そのままアップさせていただきます。)
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ジェシカさん(60歳)の自己紹介
・東京都本郷にて不動産管理会社経営 東京生まれの東京育ち
・持病 ワーカホリック 片頭痛
・座右の銘 Never give up! 正々堂々
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女60歳還暦を迎えて 言いたい放題 やりたい放題
ライフプロデュース研究会メンバー ジェシカさん(60歳)
1.【ちょっと人生一区切り】
人生100年時代などと言われると 60歳還暦を迎えたからと言って人生に区切りをつける必要もないのかなとさえ感じてしまう。しかし「一気通貫」で節目もない人生というのも何となく絞まりがないので、一区切りくらい自分でつけてみるのも悪くないと考え稚拙な文章ではあるが書いてみたい思いに駆られた。長年続けてきた人間関係の在り方や習慣にも疲れを感じているのも正直な気持ちである。会社務めの方は強制的に定年退職というイベントによって区切りが付けられるが、自営業の場合、自分で自分の人生に区切りを付け人生の再構築をなさなければならない。事業継承するのか会社を閉めるのか等々 先延ばしにすればするほど 昨今言われている老害リスクが高くなる強い懸念があるからである。だからこそ文章を書く作業を通して自分の人生とじっくり向き合い、この文章の作成を通して区切りをつけ、尚且つ二人の息子達へのメッセージになればいいなあと思っている。我が家での母親と息子の関係はベースには温かさがあるけれど 表面的にはドライというかサラリとしている。お互い照れ臭いのか人生感などについて話し合ったことはない。だからあなた達の母親はどんな思いを抱きながら生きたのかをメッセージとして残せたらと思い 書かせて頂こうと決めたのである。何篇かのエッセイになる予定である。テーマは一篇を書き終えた後に決めていきたいと思っている。
第一篇は「女の人生 みんな波乱万丈」である。
女という性を受けてこの世に生まれ 気がつけば60年も生きてきた。名もなき女ではあるが[そこそこ波乱万丈な人生]を生きてきたと思う。よく人生どん底だなあと思った時思い出した女性がジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシス(Jacqueline Lee Bouvier Kennedy Onassis 1929年7月28日 - 1994年5月19日は、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの夫人。1961年から1963年までアメリカのファーストレディであった)である。もう知らない人の方が多いかもしれないが私から言わせて頂ければ彼女の人生こそ波乱万丈という言葉を体現した女性の一人ではないかと思っている。誰が31歳の若さで大統領夫人になり 誰がパレードの最中に車の隣に座っていた夫(第35代大統領 ジョン・F・ケネディ)が2発の銃弾を受け その夫の破裂した脳を拾い集める為に車の後部トランクの上にまで上がる体験をするだろうか。誰が当時世界一大富豪と言われたリストテレス・オナシスと再婚するだろか。そう考えると 私は人生どん底と思った時「いやいやジャクリーンに比べたら屁でもないなあ。どうせ中途半端な波乱万丈だったら 究極行き切った波乱万丈がいいなあ」と自分に呟いたものである。「他人の不幸は蜜の味」という意味ではないが、自分より不幸な人を見て自分自身が救われるということは結構当たっているかもしれないと思う。
ここで自分の人生の苦労話しを語るつもりはないが、30代から50代までは 怒り(アングリーパワー)が私の気持ちの根底にあったことは確かだと思う。許せない・戦わずして必ず見返してやるというアングリーパワーが本当に半端なくあったと思う。何故あんなに怒っていたのか。このままでは終わりたくないという上昇志向・描いていた人生と現実との折り合いが就かないことへの苛立ち等々。いつも心の中でアングリーパワーがマグマのようにあったように思う。あれが生きるエネルギーだったとすると かなり残念な日々だったと思う。今でも勿論怒りの感情が沸きあがる時はあるが、以前の怒りとは様相は違ってきた。このままでは終わりたくないという上昇志向は消え、自分らしく生きたいという思いを邪魔されることへの怒りがちょくちょく顔を出すようにはなったと自分の感情の変化を感じる今日この頃である。ただあんなに自分自身とも社会とも子供とも親とも闘った結果の成果って何かあったのだろうかと今は漠然と思う。よく考えると人生どん底と思っていた時はそれと闘うことでむしろ自分を支えることができたのかもしれない。闘争本能が生き抜く力になってくれていたのかもしれないと。しかしそれによって失ったもの 捨ててきたものも多くあったように思う。家族との穏やかな時間や会話を私は置き去りにしてきた自責の念がある。よく「死ぬ前に後悔する10のこと」とかにもっと家族と仲良くしておけばよかったとかリストに入っているが、我が家は母子家庭(主人他界)という環境にもかかわらず息子達の成長期に殆ど会話が無かったように思う。物理的な親の務め(食事・洗濯・授業料等)は果たしてきたが、息子達に母親として寄り添う母性はかなり低かったと思う。むしろ父性の方が強く 今書いたら女性蔑視と叩かれそうだが「稼いできてるのは私なのだから 私の思い通りに育って当然でしょう」といつも心の中で叫んでいた。今思うと毒親そのものである。後悔先に立たずだが よくぐれないで二人とも育ってくれたものだと感謝している。
今はそういう意味で平和で穏やかな日々で幸せと思うべきなのだとも思うのが・・・。今の幸せに感謝しつつも何か突き動かされるものに挑戦したい火種が自分の心の奥底にあるのを感じるのである。いったいこれは何のパワーなのだろうか。
もうそれなりに波乱万丈な人生を生きたのだから60歳過ぎたらきっと穏やかな日々を育みながら生きていくと思っていたのに おっとどっこい未だ電球が切れないのである。
仕事中心で生きてきた女も人生のシフトチェンジにもがいているのである。長男から「これまで僕たちの為に働いてきてくれたのだから、これからは自分の為に仕事をして生きて下さい」と60歳の誕生日に電話で伝えられたが、私は「うん 有難う」と言いながら「自分の為の人生?」と正直戸惑ってしまった。自分の為に一体これから何がしたいのだろう。自分の気持ちに正直に生きるってどういくことなんだろうと戸惑っている私がいるのである。
次回のテーマは「正直に生きるって本当に可能なの?」というテーマで書いてみたいと思う。稚拙な文章にお付き合い頂き有難うございました。
Photo by Hana
゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈ to be continued ゚゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚