2021年03月26日

女60歳還暦を迎えて 言いたい放題 やりたい放題 <その2>「正直に生きろって言われても・・・。」

皆さん、こんにちは!
3月もあと5日、仕事においては年度末のこの季節、心新たに、4月からの目標や計画をたてておられるのではないでしょうか。月1回、生存確認と近況報告も兼ねて開催している「ライフプロデュース」研究会のZOOMでの月例会、今月も、独居・孤老の問題点、高齢の同居する親 (90歳代) との関わり方、80代、90代になったとき、身体が思うように動かなくなった時の【自己のアイデンティティ】の保ち方、家族・他者はどう関わるべきなのかなど、活発な意見交換がなされました。
超高齢社会の日本では、今、団塊の世代の後の世代である60歳代が、90歳以上の親と同居したり、同居せずとも独り暮らしの生活のサポートをするケースも多く聞かれ、その中での悩みや我慢していることを吐露できる場所が、今後ますます必要だと思いました。

さて、先月から連載を始められた、ジェシカさんの「女60歳還暦を迎えて 言いたい放題 やりたい放題」シリーズ第2弾、今回のテーマは、「正直に生きろって言われても・・・。」です。

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ジェシカさん(60歳)の自己紹介
・東京都本郷にて不動産管理会社経営 東京生まれの東京育ち
・持病 ワーカホリック 片頭痛
・座右の銘 Never give up! 正々堂々
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「正直に生きろって言われても・・・。」 ジェシカさん(「ライフプロデュース研究会」メンバー) 

今回は「自分の気持ちに正直に生きる」なんて本当にできるのかについて 私の考えを書かせて頂こうと思う。
 時々立ち寄る本屋さんで「60歳から捨てるもの」とか「自分らしく生きる」などのタイトルの本を見かけると正直不愉快になる私がいる。現代において60歳という年齢は はたして「自分らしく生きる」などということが許される年代かと問いたいのである。これはあくまでも個人の私見であるが、どちらかと言えば生きづらいと思っている。
私個人の思いは下記の通りである。
1. 仕事で第一線を走るにはエネルギー的に微妙に息切れを感じる年齢
2. 40代 50代 70代 80代の価値観の相違のど真ん中で理解することに疲弊する自分
3. 子育て終了と同時に微妙に重なる介護生活スタート
4. 60歳過ぎてテンション高く働いていると「痛い」という他者からの微妙な視線
5. 自分が好きだったファッションが似合わなくなってきた感覚
6. 孫の自慢をされても共感できない私
7. 親孝行な娘を演じ続けることへの疲弊
8. これといった趣味のない私 
9. 未だに近所の目・世間の目を十分気にしている私
 
 整理してみると私は 他者から求められる役割を演じ続けた為に、本当に私がしたかったことが何だったのかさえ思い出せない状況に至っているのである。他者からの期待に応えてきたことに対して恨みつらみを言うつもりは毛頭ないが、急に自分らしく 正直に生きろと言われても正直「今度はそれですか・・・。」という気持ちが沸きあがってきてしまうのである。だからもうあの手この手の人生指南書なんては絶対に読まないぞと決心した時もある。でもこうすれば ああすれば素敵な自分(60代)」みたいな他者目線で生きることに いい加減終わりを告げなければと心底思う反面 どっぷり浸かった他人目線での自己評価が気になっている自分がまだ残念ながらしっかりと存在しているのである。
 その一例が 私の生まれ育った地域でのことである。東京でもまだ町会がしっかり存続している地域である。近所を歩く時も派手な格好はできない。それに今ではそうでもなくなってきたが キャリーバックを引いて歩いていると「よく旅行に行かれるんですね」という同じ声掛けを受ける。私の母親がどのデーサービスに通っていて 私がどこまで介護をしているかまで近所の人達は知っている。世間体を気にする母親は 介護サービスに入っているサービスでもデーサービスの見送りは家族がしないとみっともないと言い 私に車までの見送りを強いる。仕事でデーサービスの見送りが出来ない時は 「なら休む」と不機嫌アピール全開になるのである。
 世間から羨ましいと思われたい。その為に必死に演技している92歳の母親が私には痛々しく感じるのである。しかしこの私だって少なからず同じような価値観で生きているのだから悲しい。
 今でも時々何もかも放り出して家出をしたい衝動に駆られる時がある。なのにいつも「あれも これも整理しておかないと家出できない」とか「ここで放り出したら負け」だとか 愚図愚図してホテルに泊まって頭を冷やすのが精々な私である。情けない 心底情けない。意気地がないというか「ぐちぐち文句言ってないで 誰が何と言おうがやればいいじゃないか」と自分自身に怒鳴りつけたくなるくらい金縛り状態の私60歳なのである。
よって世の中に流布されている「自分を解放して」「自分に正直に」「あなたらしく生きよう」という風潮に又流されて他人の価値観で生きることに私は断固拒否権を投じたいのである。
 今の私の価値観とは「とかくこの世は生きづらい」の一言である。それが前提である。この生きづらさは 私が周りとの関係性を潤滑にするために引き受けたことから始まっている。でもこの生きづらさを受け入れたからこそ 現在この程度の人生のもめ事で済んだのだと褒めて認めてあげようとも思う。
 不幸自慢も幸せ自慢も 結局は他人へのアピール 今よく言われている【承認欲求】なのかもしれない。そう思ったら「自分らしく 正直に生きる」ことは夢のまた夢なのだと
すっぱりと認めてしまった方が楽なような気もしてきたのが不思議である。そんな風に考えをシフトさせて世間を眺めてみると 不思議と(現在のコロナ禍の影響もあるのだろうが)不機嫌そうな人が多いことに気が付かされる。そんな人達にも「とかくこの世は生きづらいものなんですよ〜」とお節介だとは重々承知の上 声掛けしてあげたいような気分になってくる。
 コロナ禍において 当たり前だったことが当たり前じゃなかったんだと気づかされ この生きづらさを受け入れていかざるをえない現代人!日本人!自分自身!に私は最後に語りかけたい。「自分の不機嫌な感情を他人に投影して批判するのはやめませんか。政治・マスコミももっと建設的な議論をしてもらえませんか。これ以上 生きづらさをまき散らすのお互いに辞めませんか」と。私自身が十分不機嫌さをまき散らしている感じはしますが 誠に申し訳ありません。今回はこの辺で言いたい放題を終わらせて頂きます。お付き合い有難うございました。

ダイヤ第1回はコチラからダイヤ


可憐な花壇花.jpg

photo by Hana


゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈ to be continued ゚゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚
posted by ライフプロデュース研事務担当 at 13:05| Comment(0) | ブログ
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