◆プロフィール◆
長田攻一さん(愛称:おさださん)
昭和18年生まれ。77歳
東京都武蔵野市吉祥寺に長く住む。
社会学者。早稲田大学名誉教授
現シニア社会学会理事 事務局長
「災害と地域社会」研究会 座長
おさださんとは、コロナ禍前、月1回、渋谷の事務所で開催されていた「運営委員会」で帰路が同じ方向だったので、いろいろお話しながら楽しかったことを記憶しております。今回は、このシリーズ第5弾 ! 80代の方々へのインタビューが続いた、『エイジフリーに温故知新!活き活きと輝く70代80代シリーズ』では初登場!の70代です。
【子ども時代について】
Hana: おさださんの攻一さんという名前は珍しいですね。どなたがお付けになったのですか。
おさださん:父親がつけたんだけど、こどもの頃、この「攻」という字は「攻める」という意味で、そういうタイプではなくどちらかというと受け身のタイプなので、自分の名前が好きじゃなかった。この「攻」という文字には「おさめる」という意味もあるらしいんだけどね。
Hana: なるほど。「おさめる」、いいですね。おさださんの場合、「攻める」という意味合いでは、深く、静かにという感じがします。僭越で率直な感想ですが。ご出身はどちらですか?
おさださん: 生まれたのは茨城県水戸市なんだけど、一番長かったのは吉祥寺なんですよね。
Hana: お父さまも学者さんだったんですか。
おさださん:父は元々は建設省に最初いて民間に移って、その後は建設関係のサラリーマン家庭。学者はウチの家系には殆どいないです。
Hana:私にとっておさださんは、学者さんの典型的なタイプに見えるので、意外です。
【蝶々について】
Hana: Zoomでの委員会で、おさださんの背景に艶やかな蝶々が現れたときはびっくりしました。
おさださん:三歳から吉祥寺に住んでいて、当時、畑が多く蝶々も沢山いた。井の頭公園、善福寺公園に池があり、トンボや蝶々をとりにいったんですよ。生活の中に虫や蝶々と接していた感じかな。吉祥寺はイタチがでるような田舎だった。小学生時代、近所に住んでいた友人と蝶々を集め始め、その友人の家の押し入れのスペースを借りて収集していた。大学生まで蝶の標本箱沢山持っていて、小学生の時は学校に寄付したりしていた。今でも蝶を見るとすぐ名前がわかるんですよね。
Hana: 蝶の収集家の子どもだったってことですね。
おさださん:いやいや、本格的な収集家から見たら序の口ですよね。
【愛犬 クッキーについて】
Hana: 蝶と同様、Zoomの背景に愛犬クッキー君のお写真も飾っておられますね。
おさださん:ダックス犬のクッキーは、2017年に14歳で突然亡くなったんだけど、もっと長生きすると思ってたんだよね。前の日まで、全然、元気で…..それが急に、ぐったりと寝そべり始めて、様子がおかしいと、どうぶつ病院に連れて行って、注射を打って救急措置をしたんだけど容体回復せずにその日のうちに亡くなってしまった。前日、ぴょんぴょん跳ねて、ご飯をねだって元気だったのに.。
Hana:突然の別れって本当に辛いですよね。
おさださん:骨壺はそのまま、奥さんは今でも、毎日、祈ってますよ。もう、他の犬は絶対飼わないって言ってます。直ぐに次の犬を飼うタイプもいるよね。うちは、次の犬っていうのは、ないんですよね。
Hana: 奥様にとって、クッキー君は息子さんだったんですね。クッキー君の名付け親はご長男だということで次男坊。
おさださん:本当にそうなんですよ。
Hana:こうして話題にする、クッキー君の想い出を語るというのは一番の供養になると思います。クッキー君は、こんなにもご家族に愛されて、本当に幸せなわんこでしたね。

【大学時代】
Hana: おさださんはどんな大学生時代をお過ごしだったんですか。
おさださん:早稲田は政治経済学部だったんだけど、政治も経済もあまり関心がなかったので、新聞学科に進みました。大学2年生になった途端に紛争が始まり、学生運動 学費値上げ闘争が激しくなって、授業はほとんど出ていないというか、授業自体が無くなってしまった。当時、構内は騒然としていた。授業は無くても試験はあるのでノート見せ合って卒業出来ちゃった。前期、外国語の科目とか落としても、夏期集中講座があったので、落第は免れたって感じです。全く授業に出ていなかったというか授業が無かったので、勉強するということに対して不完全燃焼気味だった、だから、大学院に進むことにしたという経緯があります。
さて、大学院の専攻を決めるにあたって、政治学、経済学に興味があるわけではない、でも、実質、「新聞学科」の学部生時代に「新聞学」を学問として学んだわけではなかった。大学院でマスコミを学びたいんだったら「文学部」の方が良いよとアドバイスを受け、文学研究科を受け、社会学専攻に進んだ。マスコミを勉強できると思ったから。で、選択肢がなかったんだけど、武田良三教授についた。1968年、大学院2年の時に、再び、大学内紛争が始まり、再度、大学院でも授業ができなくなったんです。
(学部生時代のおさださん)↓

【大学院時代】
Hana: 正に、大学紛争の真っただ中で、学生時代を過ごされたんですね。大学院生のおさださんはどんな学生生活を送られたんですか?
おさださん:大学院2年の時に、学費値上げ闘争から、大学改革や70年安保反対運動に広がり、自分自身の反体制意識が高まり、1968年から1970年、学内デモや安保の反対運動に参加した。
学生運動に参加しながら、並行して、全く授業が出来ない中で勉強もしたいなぁと思い、大学院生仲間と共に社会学の1冊の本を翻訳して、すでに退職していた武田良三教授に監訳者になってもらい、出版まで漕ぎつけた。学内は革マル派の勢いが凄く、民青の学生たちを追い出したり、角棒で殴りつけたり、その中庭の様子が教室から見えた。そういう殺伐とした状況の中で、学内当局そのものへの糾弾もする動きになって……。
Hana: え?おさださんご自身もですか? なんか、穏やかなおさださんと過激な学生運動、イメージ結びつかないですねぇー。いずれにしても、このお話って、早稲田の学生運動最中の生き証人のお話なんですよね….。
おさださん:そうですね。だから、学部生、院生、教員時代を含めると、かなり長い年月、早稲田にいた訳だけど、早稲田に愛着はあまりない。当時、体制に対する反発心はあった。学部の卒業証書も卒業式に出席しなかったのでだいぶ後になってから事務所で受け取った。自分が早稲田の教員になることも考えておらず、なったのは想定外。機会に恵まれて、つまり前任者が定年で退職されポストが空いて、そこに推薦していただいたという流れ、1977年のこと。当時、直ぐ上の世代が10歳ほど離れていて、これで自分が教員していいのかという感じだった。
Hana:そういうチャンスと出会いに恵まれるのも実力の一つではないでしょうか。私は1978年に大学卒業したので、おさださんが早稲田の大学院の教員になられた頃、私は立教大学の4年生、時代が一緒ですね。
院生にとって、年齢の近い当時のおさださんは、「お兄さん」という感じだったかもしれませんね。新人の大学教員としてのおさださんはどんな感じだったんですか?
(教員時代のおさださん 1985年頃、教務室で。)

おさださん:教員と教職員組合の活動の両輪で忙しかった。1978年頃、教員としては、第一文学部と夜間の第二文学部 社会科学部併せて週、ゼミと授業9コマを受け持っていた。早朝08:20から夜10:00までずぅーっと。授業の準備が十分できていないままのこともあった。学生たちも不満もあっただろうが、不思議ですよね、その当時のゼミの学生たちとの交流が今も続いているんですよ。今、彼らは50代だけど。
一方、教職員組合の活動では、いつの間にか、私は、給与対策担当になっていて、デモだけではなくストをやろう!という流れになって、当時は夜中の1時ごろまで議論。端から見たら破天荒?僕はそういうタイプでは全くないのにそういうことをやってきているんですよねぇー。
Hana:いかにも反体制側、というタイプを微塵も感じさせずに、反体制側の立ち位置で立ち振る舞うには、おさださんみたいな「静」の佇まいのある方が最適人者だったのでは?
おさださん:いや、少し微妙でね。どちらの立場にも気持ちの中では共感と対立が同居していたんですよ。大学っていうのは面白い構図になっていて、学部には教授会があるので、理事会に従わないこともある。「狎れあい」って言ったら語弊があるけど面白い構図がある。職員と教員も共闘はするけど、微妙な関係。教授会と職員の関係でも、職員は、「言いたいことを言って!」と教員に対して反感を持っている人は大勢いる。が、支え合っている面もあるから。私が学生担当の教務をやっていたとき、革マル派の学生に糾弾を受けていた集会にゼミの学生が私の応援に来てくれたりしたこともあります。
組合は日本では企業の中に組合があるけど、欧米では労働者は会社を超えた横の繋がりがある。大学では相互に依存し合いながら対立しつつ、教授会の決定には従わなければならない状況の中で運営されている、持ちつ持たれつの世界。
Hana:ふぅーん。複雑ですね。大学という組織で教職員組合の立ち位置は、企業内での組合のそれとは少し違うかもしれませんね。
ところで、長田ゼミを巣立った学生さんたちはどんな職業に就いたのですか。
おさださん:初期のころは30名中、女性は4名と少なかったなぁ。職種で言うとマスコミ関係は結構いた。朝日新聞、北海道新聞、沖縄タイムスの記者、裁判所関係の仕事、家裁の調停員、実家の商売を継いだり、温泉宿の女将もいたな。面白いのは、ゼミ内で結婚し、そのお子さんが、第2文学部(夜間)の私のゼミに入ってきたというケースもあったんですよ。
Hana: 二代続いて、同じ教授のゼミにって素敵なエピソードですね。
おさださん:そうなんですよ。教え子である親御さんが入れたくてもなかなか合格に至らないケースもあるからね。コロナ前まで、同窓会が続いているゼミが3つ位あって、幾つか訃報も届いている。最近では音楽関係の専門誌の編集長だった独り暮らしの男性の突然死、また、夜間の社会科学部の卒業生で、接骨院経営者の訃報も届いた。まだ50代なのに。
僕は卒業時には、「結婚、子供ができたり、仕事が変わったり、節目、節目の時には連絡を取り合おうよ。」と卒業生を送り出していたのだけれど、卒業した後も情報を得ると嬉しい。今年も、聴覚障碍者でNHKの職員になった卒業生から、退職してから障碍者ための講座を持つようになったという連絡がありました。
Hana: おさださんの優しいお人柄所以ですね。早稲田の学生の特徴とか校風ってありますか。
おさださん:彼らを、早稲田の学生、早稲田の校風や早稲田カラーで捉えたことはないなぁー。その人の特徴で記憶しているから。
Hana:おさださんは、とても間口の広い、ニュートラルな方なので学生たちはゼミが居心地よかったのでは。ゼミ生の皆さんとの思い出で、何かご紹介いただけますか。
おさださん:ゼミで調査は必修だったんで、同じ地域を続けて調査するんですよ。私のゼミの場合は、住んでいた日高市に近い、秩父市、秩父郡小鹿野町で調査をしました。各家を訪れて、家族の話を聴く。夏祭りに参加したり、地域との繋がりについて、現地の方々とどう繋がって行くかー。学生たちは、最初は違和感があるようだが、だんだん、馴染んでくる。学部生時代から院生までずぅーっと私のゼミにいた男性がいて、彼は一時、裁判所に勤めた後に大学院に戻ってきた。彼が、夏の合宿に、ゼミ生たちと地域の皆さんの交流をサポートしてくれたんですよ。
Hana: その方はゼミ合宿での調査ではコーチ役を担われたんですね。ゼミ生たちはさぞ心強かったでしょうね。
おさださん:そのうち、ゼミに女子学生が増えて来たんですよ。どうも、その当時、社会学を学んだ女子学生の就職率が高いらしくって。で、地域の調査に女子大生を連れていくと、田舎だから、跡継ぎの長男だけが独身で残っていて、声かけられて、言い寄られて、閉口して困っていたケースを、思い出しましたよ。。。そういうこともあったなぁと。残念ながら、このパターンは実現したことないんですけれどもね。
Hana: ははっ、大いにあり得るシチュエーションですね。あ、時間も大分、予定をオーバーしていて申し訳ありません。
Hana:おさださんは、昭和18年生まれの77歳、シニア社会学会では、事務局長であられますが、運営委員会、長期検討委員会、「災害と地域社会」研究会 座長 他、学会運営の為にご自身の時間とエネルギーを注入され、凄いなぁーと敬服しておりますが、おさださんにとって「シニア社会学会」とは、どんな存在ですか?
おさださん:そうですね。一つの居場所になっていることは事実ですね。メンバーが都会的な意味合いでのつきあいで、距離感保ちそれぞれと上手くつきあっている。
Hana: そうですね。同感です。距離感保って群れないし、孤高の人財の集まりのところが心地よいです。「灯台下暗し」にならないようにちゃんと足元も見ながら、社会全体も見渡している方々の集まりっていうのがスゴいと思います。事務局長のお立場で、今後のビジョンはどうお考えになっておられるのですか。お話しできる範囲でお願いいたします。
おさださん:少々息切れしているんですよね。同様の事を、他の人に引き継がせるのは難しいと思っています。これから担ってくれる人には条件を提示して担ってもらわないと……。今のままで続けていくことは難しい。現在、学会運営で支えてくれる方々はいて、袖井会長ご自身がとてもエネルギッシュに動いてくださるので、普通の学会は、そうはいかない。これまでのやり方は、このメンバーが最後になる気持ちでやっているけど、今後はそうはいかない、力の分散が必要と感じていますね。
Hana: ざっくばらん、率直なお気持ちありがとうございます。
最後に、「ライフプロデュース」研究会へのメッセージをお願いいたします。
おさださん:我々の時代とは一味ちがう、学会の在り方をイメージできるような研究会に発展していって欲しいと願ってます。新しいカラーを生み出すような研究会―…..。
Hana:おさださんのメッセージ、シカと承りました。「一味違う、新しいカラーを生み出すような研究会」目指します!今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
【インタビューを終えてから、素敵な写真が届きました

インタビューを終えてから、おさださんより素敵な写真が届きました。
↓の写真は、2014年、ゼミ論集をDVDにして学生たちに配った時の、ジャケットとDVDだそうです。おさださんの細やかさとセンスの良さに脱帽!ですね。素敵です!
おさださんに「人生のモットーとか座右の銘は?」とお尋ねしたところ、「そういうものはないんですよ。特にー。」だそうです。拍子抜けしてしまいましたが、おさださんらしいなとも思います。
教員になりたての頃、学生たちにとっては「優しいお兄さんタイプ」だったであろう、おさださん。そのもの静かで優しい雰囲気と佇まいは、時代背景は変わったけれども「シニア社会学会」では、何でもいいやすい(あ、かなり僭越MAX!なことを言っても、いつも温和ににこにこされてます。)お兄さんタイプですね。
そんなおさださんを漢字で現すとしたら【薫陶】という二文字でしょうか。これからもおさださんの薫陶を受けて、【ミクロとマクロの視点】(コレ、おさださんが良く使います。)で世の中の眺め方を鍛えていかなくては!と心に刻みました。
おさださん、今回は、奥様を喫茶店にお待たせしたまま、お昼時までの長時間、インタビューにお付き合いいただきましてありがとうございました。